映画「オーケストラ」:解決志向と問題志向

自分の人生というオーケストラの楽譜は自分で書き、自分で指揮することができる!

オーケストラ!サントラ

昨日は久しぶりに劇場で映画を観ました。

題名は、「オーケストラ

昨日の朝、ツイッターで「なんかこー、痛快、感動、感涙な映画が観たい」とつぶやいたら、即返ってきた映画のタイトルがこれでした。

普段はアクションものしか観ない私ですが、今まで自分が味わってない世界をもっともっと広げたいと思っていたので、仕事を終えて映画館に直行しました。

あらすじは、
モスクワのボリショイ音楽団で働く掃除係フィリポフは元天才指揮者。
彼は指揮棒をとりたくて仕方がないが、複雑な過去が。。
ところが、ある日ひょんなことからパリの大劇場でオーケストラを指揮することに。。。

何しろ指揮者として30年のブランクと、60人近い団員を急遽集めることになるのですが、次から次へと襲いかかる問題の嵐。

途中何回もくじけそうになりますが、仲間の助けもあり、、、

映画のネタバレになるので、ストーリーはこの辺にしておきますが、

主人公の元天才指揮者フィリポフは、掃除係をしながらも毎日毎日指揮棒を振ることを考え続けていたんでしょう。

ちょうど雨樋から水桶に垂れる雨粒が、いつかいっぱいになってあふれ出すように、ちょっとしたことから、願いがどんどん現実になっていく様は本当に痛快で、感動的で、最後は泣かせました。

ここで、ブライアン・トレーシー著『ゴール』から引用してみます。

ゴール 最速で成果が上がる21ステップ

ふだんから考え続けていることは現実になる・・・このことを忘れないでください。困難や障害に関していえば、成功者というのは必ずわれわれが「解決志向」と呼んでいるその人なりの考え方をもっています。

成功する人は解決策のことを、成功しない人は障害や問題についてよく考えます。解決志向の持ち主は、立ちはだかる障害物を乗り越えるか、よけるかするための方法を絶えず探しています。問題志向の持ち主は、自分の問題についてひっきりなしにしゃべります。誰あるいは何のせいでこうなったのか、自分がいかに不満で怒っているか、自分ほど不幸な人間はいないなどと、延々とまくし立てるのです。一方、解決志向の持ち主は、ただ「どうやって解決しよう?」と自問するだけで、すぐに問題に取り組むための行動を起こします。

達成したい目標までの道のりには、必ず何らかの問題や障害があるものです。だからこそ、成功は時に「問題解決能力にある」といわれるのです。人間の統率力や有能さは、問題を解決する能力で決まります。大いなることを成し遂げた人というのは、男女を問わず、自分と目標との間に立ちはだかる問題を解決する能力を身につけた人たちなのです。

 

私も色々やってみてうまくいかなかったとき、真っ先に自分以外にその原因を求めてしまうという時期がありました。

「会社のせいだ」
「親のせいだ」
「不況のせいだ」

このように原因が外部にあると思い込んでいるとき、つまり問題志向に陥っているときは、その外部が変わるしか解決方法がありません。
でも、それって永遠に難しいかも知れません。

以前「人生哲学:サナギ(sanagi)の意味」でも引用しましたが、『神との対話』から、下記のフレーズをもう一度引用してみます。

神との対話

世界には犠牲者もなければ、悪人もいない。誰も、他者の選択の犠牲者ではない。ところがあるレベルでは、あなたがたはみんなで唾棄(※だき)するものを創り出している。創り出したということは、それを選んだということだ。

(中略)

すべての責任を引き受けたときにはじめて力を得て、ほんの一部でも「変える」ことができるようになる。

「こんな目にあう」のは、何か、あるいは誰かのせいだと考える限り、どうすることもできない。「わたしの責任だ」と言ったときはじめて、それを変えられる。

自分がしていることを変えるほうが、他者がしていることを変えるよりずっと容易だ。

なにごとであれ、それを変える第一歩は、選んだのは自分だと認め、受け入れることだ。個人として責任があると思えなければ、わたしたちはすべて一体であるという理解を通じて、認めなさい。それから、間違っているからではなく、ほんとうの自分にふさわしくないからという理由で、変化させる努力をしなさい。

何かをする理由は、ひとつしかない。宇宙に向かって、自分が何者であるかを示すことである。

そうすれば、人生は自己の創造になる。あなたがた人生を使って、真の自分、こうありたいと願ってきた自分を創造する。また、ある行動を拒否する理由も一つしかない。それが自分にふさわしくなくなった、という理由だ。その行為が、あなたがたの真の姿を表さない(representしない、つまりふたたび存在させない:re-presentしない)からである。

正しい自分を示したいと願うなら、永遠のなかに映し出したいと思う自分にふさわしくないものはすべて、変えていくよう努めなければならない。

※唾棄(だき):つばを吐きすてること。転じて、非常に軽蔑して嫌うこと。

 

簡単にいうと、
人生でも環境でも、何かを変えたいと考えたときは、私以外のものを変えるのではなく、私自身の考え方を変えるのが一番の近道だということです。

目の前の問題をどう解決していくかを常に考える解決志向が重要なんですね。

ゴール』からもう少しだけ

ありがたいことに問題解決能力は、自転車に乗ったりタイプライターを打ったりといった行為と一緒で、身につけることのできる技能です。あなたが解決策について一心に考えれば、よりよい解決策がどんどん浮かんでくるようになります。問題をうまく解決できるようになれば、より早く問題を解決できるようになります。よりうまく、より早く問題を解決できるようになるにつれて、より大きな問題や解決にかなりのお金がかかる問題にもでくわすようになりますが、それも手際よく解決できるはずです。そうやって世の中は動いていくのです。

目標にしっかりと狙いを定めれば、どんな問題も解決できますし、どんな障害も乗り越えられます。これは確かです。あなたのなかにはすでに、どんな障害をも乗り越えられるだけの知性と能力が備わっているのです。

 

話はまた映画に戻りますが、
映画「オーケストラ」のキャッチコピーは、
「寄せ集め楽団が奏でる奇跡のシンフォニー」

私たちの人生にも奇跡は起きます。
というか、奇跡を起こすのは、親でも友人でも上司でも神様でもありません。
自分なのです。

人生というオーケストラの楽譜を書くのは自分であり、指揮者も自分なのです。

自分の心次第で、今までとは全く別の人生を奏でることができるのです。

いかがですか?
今週末は映画でも観ながら素晴らしい音楽の世界と、解決志向の人生哲学を堪能してみては!


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4 thoughts on “映画「オーケストラ」:解決志向と問題志向

  1. 解決思考かぁ。大事だね!
    確かに問題にばかり目を向けていると問題ばっかりだもんね。
    私もいつからか自然と解決思考に変わっていってると思うけど、問題思考になる事もあるよ。歩いたり何かに没頭したりする事で自然と気持ちが切り替えられることもあるよね。いい映画を見るのもいいよね!
    育児で前ほど外に出られなくなったけれど、朝は洗濯を干しながら朝日を浴びてリズムのある生活を心掛けているよ♪まだまだ上手く時間を使えてないけどこれからさ。

  2. 「オーケストラ!」いい映画ですよね。私も感動しました。私はこの映画から、音楽によるコミュニケーションの素晴らしさも感じました。言語でなく、演奏者と指揮者がメロディーに思いをのせて通じ合う。オーディエンスにもその思いが通じる。こんな体験絶対にしないと損ですね。
    映画から離れますが、問題思考と解決思考、腑に落ちます。教授法では、問題思考は意図的教育観、解決思考が成功的教育観です。
    意図的は、教育すること働きかけるだけなので、できるできないは生徒の責任。「これだけやってるのに分からないの!」というセリフは意図的教育観。
    成功的は、学習を成立させなければならないので、生徒が分からないのは教え方に問題があると考えます。
    生徒の理解が進まない課題について、問題思考ではなく、解決思考でなくてはいけない。問題思考と解決思考使わせてもらいます。ゴールも読むことにします。
    それと、「自分がしていることを変えるほうが、他者がしていることを変えるよりずっと容易だ。」は間違いようもない普遍原則ですね。再認識。少々長くなりました・・・いいブログですね!ツイッターだけでなくこちらもチェックします!

    1. inok64さん、コメント感謝です。
      ツイッターではいつもお世話になっております^^
      ホント、「オーケストラ」よかったですね。

      >音楽によるコミュニケーションの素晴らしさも感じました。
      >言語でなく、演奏者と指揮者がメロディーに思いをのせて通じ合う。
      >オーディエンスにもその思いが通じる。こんな体験絶対にしないと損ですね。

      おっしゃる通りですね。
      言葉が通じなくてもヴァイオリンを弾いてみせるだけ、指揮棒を振るだけで人々を感動させてしまうんですから。。
      その根底、というか奥には「心」が通っているということですね。

      私も教育には大きな興味を持っています。
      子どもは白紙で生まれて、そこにさまざまな絵を描いていくのですが、その絵を描く道具を揃えるのは親であり教師であり環境なんですよね。
      なるべく自由に描かせてあげたいし、なるべくその無限の可能性を信じてあげたいですね。

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