暗黒の浪人時代

いよいよ実りの秋、収穫の秋だね

猛暑、猛暑と連日騒がれておりましたが、ようやく秋の気配を肌身で感じる朝夕です。
心なしか、空もどんどん高くなっているような気がします。

さて、今回の投稿は、またまたわたくし事です。
魚屋時代の話=大学時代の話になるのですが、その前に暗黒の浪人時代というのがありました。しかも2年間。

以前、「深呼吸ってすごく大事!」でも少しだけ触れましたが、今日はもうちょっと掘り下げてひとりごとをつぶやいてみようと思います。

高校三年生の夏頃、色々迷ったあげく、広大なキャンパスと新しい施設がたくさんある筑波大学を目指すことに。
それまでほとんど身を入れてこなかったので、その時点で当然偏差値は足りず、俄然勉強し始めました。


なめんなよ!

当時、応用クラスという、進学する学生たちの中でもけっこう上位の生徒が集まるクラスにいましたが、裏地が玉虫色でしかもヒョウ柄の短らんとボンタンズボンにぺっちゃんこのカバン。
そのカバンには「明菜・命」のステッカーが。。
さらに応援団に所属していたので、非行少年ではありませんでしたが、あまり優等生には見えなかったと思います。

ま、そんなこんなで、真剣さが足りなかったのか、結局筑波大学はあえなく撃沈。
公立の滑り止めには受かりましたが、どうしても国立大学、しかも関東方面に行きたかった私は、浪人の道を選びました。
その当時、いなか徳島で浪人生活を送るなんていう考えはサラサラなく、卒業と同時に東京に出ました。

修学旅行でしか来たことがなかった東京での生活は、とっても刺激的でした。
と言っても、遊びほおけたわけではなく、品川にある下宿と代々木ゼミナールを往復する日々。
受験勉強と同時に、たくさん悩み、哲学もしました。

なんのために大学に行くのか?
人はどこから来て、どこへ行くんだろう?
死んだらどうなるの?
生きるとは。。
高校時代は友達とバカばっかりやっていたのに、一人の時間が増えるとそういうものなんですね。

勉強もしたし、悩んだし、、

東急池上線の旗の台という駅から、五反田で山手線に乗り換えて代ゼミまで行く電車の中、いなか徳島とはまったく違う車窓の風景を見ながらいろんなことを考えたものでした。

東京独特の、人と人とのつながりが薄い雰囲気や、冷たい言葉、それでいて世界有数の最先端の街。
まだ高校出たての私にとって、とてつもない魅力と同時に、何か現実ではない違う世界を生きているような、そんな東京での生活でした。

さて、あれほどまでに筑波にこだわっていた現役時代ですが、自分の実力と、志望する経営学という点、さらに東京に近いという魅力から、志望校はあっさりと横浜の大学に変更。
その目標に向けて、朝から晩まで勉強に明け暮れました。

いよいよ1月、マークシート方式による共通一次試験を一週間後に控えたある日、突然右胸の辺りが痛くなり、息ができなくなったのです。
当時のことはよく覚えていませんが、救急車で近くの病院に担ぎ込まれて、治療を受けました。
病名は自然気胸。
以前にも書きましたが、簡単に言えば、肺に穴があいて、そこから空気が漏れる病気で、すらっとしたやせ形の男性に多いのが特徴です。

その時は、特に手術をすることもなく、4日ほど安静にしただけで退院できましたが、その後もたまに襲ってくる胸の痛みと闘いながらの受験勉強で、なんと浪人1年目の受験も失敗してしまいました。

二浪するか、それとも大学は諦め、専門学校に行くか、就職するかでさんざん悩みましたが、家族のすすめもあって、大学受験にもう一度挑戦することになりました。

ということで、暗黒の浪人時代は2年目に突入。
とっても仲がよかった友達は全員志望校に合格し、さらに孤独な二浪の生活がスタートしました。

二浪ともなると、もう勉強のコツはわかっているので、代ゼミには主要な試験と好きな講師の講義だけ受けに行って、あとはますます部屋に閉じこもって勉強する日々。

みるみる理解できる相対性理論 改訂版

と同時にやはり「人生の目的」とか、「宇宙の成り立ち」とか、、いっぱい悩み、いっぱい哲学もしながら、エアコンなどない部屋で暑い夏を過ごし、感傷的な秋を送って、いよいよ受験の冬。

共通一次試験が近づいてくると頭をよぎる不安。
今回また失敗したらどうしよう
もう三浪はないだろう
今回また落ちたら長男としてのメンツ丸つぶれ

まぁ、当時二十歳になったばっかりでしたが、今から思えば「何をくよくよしてるんだ!」って感じです。

さて、そんなこんなで、浪人2年目の共通一次試験の一週間前。
思い出すのは一年前の悪夢。。それが現実のものとなってしまったのです。

今度は左胸、心臓の辺りがずっきんずっきんと痛くなり、またまた救急車で病院に担ぎ込まれたのでした。

病名は同じく自然気胸。一年前と違うのは、右ではなく左側。

その時は本当に信じられませんでした。
さすがにこの時ばかりは自分の運命を呪いたくなりました。。
あの一年前の悪夢が再現されたどころか、今回は緊急手術!!
「手術」という言葉を先生から聞いた瞬間は、「私の人生は終わった!」と真剣に思いました。

左の肺が完全にしぼんでしまい、呼吸困難になってる上に、しぼんだ肺と横隔膜が擦れて痛いのなんのって、、本当に死ぬかと思いました。

でも、けっこう楽天家な私は、まもなくして「もういい!私の人生はあなたに預けた!」と、神なのか悪魔なのか、私の運命を翻弄する見えない存在に向かって念じたのを覚えています。

そうなれば、「まな板の鯉」状態。
逆にとてつもなく平穏な気持ちになり、変な力みがとれていくのがわかりました。

手術自体は、開胸手術という大がかりなものではなく、脇腹に穴を開けて、そこから内視鏡を入れ、穴のあいている部分を治療していくというもので、30分くらいで終わります。
局部麻酔なので、手術中も先生やスタッフの会話ははっきり聞こえるし、体の奥の方でなんとなく鈍い痛みも感じました。

先生ー、患者に聞こえてますよ。。

でも、その時の先生と助手の会話はさすがに不安になりました。
今でもはっきり覚えています。

先生「おっかしいなぁ。。出血が多いなぁ」

助手「先生、どうしましょう!」

いくら楽天家の私でも、このやりとりにはびびりました。
びびりすぎてその後は気絶したのか、寝てしまったのか、、記憶がありません。

どれだけ経ったかわかりませんが、その眠りから覚めたのは、とてつもない脇腹の痛みによってでした。
局部麻酔が切れたのです。

手術後、横隔膜と肺の間の空気を抜くために、脇腹にあいた穴に管が通されているのですが、それが少しでも動くと気絶するほど痛いのです。

あまりにも痛いので、看護師さんに、「お願いです。モルヒネを打ってください…orz…」って何回頼んだかわかりません。
モルヒネは投与していい時間の間隔が決まっているので、それが切れると次に打ってもらうまでまた拷問のような激痛。
激痛の間中、ずっと涙目だったと思います。

さて、そんなこんなで受験のほうはどうなったかと言いますと、やはり今度ばかりはすべれません。なので、入院中、激痛に耐えながらも頑張りました。
夜、部屋の灯りが消されると、明るい廊下に出て勉強しました。
廊下の電気も消える深夜は、緑の非常灯の下で参考書をめくりました。

脇腹の管は5日目くらいに抜けましたが、まだ抜糸されてない状態。
それでも共通一次試験を受けなければならないので、先生に頼み込んで病院から直接試験会場に行きました。

結果としては、合格。
さすがに、2年間のいろんなことが思い浮かんできて、男泣きに泣きました。

その2年間は、歩んでいる当人にとって本当に暗黒の時代でしたが、あとで振り返ってみれば、今の私の土台になっているし、人生を歩んでいく上での強い背骨を形成してくれた2年間だったという感謝の気持ちでいっぱいです。

精神的、肉体的にあまりにもきついとき、年輪が刻まれているんだなと思います。
人生にも春夏秋冬の四季があるんですね。

また、こんな言葉もあります。

どんな仕事も楽しくなる3つの物語

「つらいことは選ばれた人に起こる。他人には乗り越えられないから」by 福島正伸

まさにその通りだと思います。
「自分では到底受け止めきれない」と思うほどの困難でも、無私の心境になったとたんに、無限大の器になれるのだと思います。
そして、それは私だからこそ与えられる試練であり、私だからこそ乗り越えられると思うのです。

この自然気胸に関しては大学に入ってからも色々お付き合いさせてもらいました。
その話に関してはまたの機会ということで、最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


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6 thoughts on “暗黒の浪人時代

  1. さな爺の歩んできた人生って、壮絶の部類に入るかも。学び、学び、学び…。どうしてこのタイミングで?と次々に襲ってくる試練の数々。神様は乗り越えられない試練は与えないっていうから、強くなるように選ばれたひとなんだと思う。そして、その体験をたくさんの人々に語り、励ましや癒しを与える使命を帯びているのかも。どんどん、書いてください。まだまだありそうだもんね。隠してないで、明らかにして。よろしくお願いします。ぷぷぷ。

    1. umejunaさん、コメントありがとうございます。
      私などよりもっともっと壮絶な人生を歩んでいる人はいっぱいいると思いますが、それぞれに与えられた人生で、すべてのことに無駄はないんだなーと、後になって思います、いつも。
      だから、今現在の苦労を乗り越えられるのかなーと。
      また、ちょこちょことブログ更新していきますので、今後ともよろしくです。

  2. 私も楽しみにしてます。ぷぷぷ。
    さな爺はサナギのままでいてはいけないと思うんです。大器晩成というけれど、そろそろよいお年頃。
    どんな蝶々に変身されるのか楽しみです♪

    1. yucalynnさん、コメントありがとうございます。
      まだ、色々あるにはありますが、ブログで全部告白してしまうと、私の人生丸裸って感じで、、
      いずれにせよ、もうすぐだと思います。サナギから羽化するのは!
      蝶になるか蛾になるか、はたまたカブトムシか、、
      どんな成虫になるかは、なってみてからのお楽しみってことで、よろしくです。

  3. すらっとして痩せ型で明菜♡命のお兄ちゃん。
    その後、お体大丈夫ですか?
    これからの季節、タンパク質とコラーゲンたっぷりのお鍋が体にいいですよね^^

    見えない存在に向かって、もう任せた。って思えるのは
    それくらい頑張ってきたからなんですよね。
    そう思うと、私はまだまだかなー。
    まだ、できることや、やってないことが沢山あるもの。
    心の四季も、いまちょうど秋。
    大好きだけど、ちょっと切ないのです。
    頑張るだけじゃなくて、あたたまるものが必要なのかもしれません。
    やらなくちゃならないことは、沢山待ってるから。
    ちょっとだけ休憩しようかな。
    落ち着いて考えたら、今まで見えなかったものが見えるかも。
    そして、お兄ちゃんみたいに、全てを任せます。という心境になれたらいいな。

    Ope大変でしたね。
    先生の言葉のあと、記憶がなくなったのは
    きっと麻酔で意識を落とされたからだと思います^^
    不安を感じるとバイタルが変動するので。
    私も一度Opeを受けたことがあるけど、あの台に上った人にしか分からない動揺がありますよね。
    お兄ちゃんが無事でよかったー!

    1. fuuちゃん、私も秋は大好きだけど、やっぱり切ないよね。
      ホント、鍋の季節がやってくるね。
      心も体も温めたいよねー^^

      私自身、ただただがむしゃらに頑張ってきたわけじゃなくて、もういいやって時もたくさんあったよ。
      でもそうやって投げ出したり、休んだりするのも自分。
      その自分にいちいち自己嫌悪に陥ったときもあったけど、今はそんな自分もひっくるめて受け入れてるって感じ。
      自分を理解してやれるのは自分しかいないもんね。
      自然体で、休憩しながら無理せずやってみて、時が来たら、あとはすべて任せますって感じで、いいんじゃないかな。

      さすがお医者さん!記憶がなくなったのは、麻酔のせいだったのかー!ふむふむ。
      Opeに関しては、いい想い出ではないけど、その経験があるからこそ、人生が豊かになった気がする。
      同じ立場の人の気持ちがわかるもんね。
      fuuちゃん、色々ありがとうー!

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