万物の霊長としての人間

中秋の名月

昨夜は中秋の名月、幸運にもきれいなお月様が見えた人、曇っててそれが叶わなかった人、いるでしょう。
月見団子でお茶をすすったり、ビール片手に秋の味覚を楽しんだり、月明かりの中友人と熱く語り合った人。
それとは対照的に、夫婦げんかで気まずかった人、仕事に追われ月見どころでなかった人、、さまざまな人間ドラマが展開したことでしょう。
地球から約38万kmも離れた星一つを眺めながら、悲喜こもごも、人間って面白いですね。

でも、そういう人間たちの営みとはまったく関係なく、宇宙の法則に従って地球は回ってるし、雲があろうがなかろうが、お月様は慎ましやかに夜の闇を照らしてるんですよね。
ただ坦々と。。

昨夜徳島に帰ってきましたが、それまで降ってた雨もやみ、幸運にも雲間から顔を覗かせるきれいなお月様を見ることができました。

栗

さて、徳島の我が家は大自然とはいかないまでも、豊かな自然に囲まれています。
だから、四季の移り変わりが手に取るようにわかります。
今もブログを書いてる窓の外では、スズムシやマツムシが音を奏でているし、庭の紅葉も少しずつ色づいてきました。
山ではそろそろ栗がとれる頃。今日くらい見に行ってみようかな。。

また、秋祭りの季節、近くの小さな神社の森に行くと、ムササビやコウモリがいたり、最近ではサルも出没します。
山奥のため池にはナマズやウナギがおり、最近では少なくなりましたが、春に大水が出ると(大雨の後)、家の近くの用水路にその魚たちが逃げ出して、子どもの頃よく大騒ぎして追っかけまわしました。
いつだったか、一匹だけ金色のナマズがおり、それを捕まえたときは宝を掘り当てたくらい大喜びしたのを覚えています。

そんな動物や植物の話で、最近何回か紹介している、小林正観著『もうひとつの幸せ論』から面白い表現があったので引用してみます。

もうひとつの幸せ論

「植物」に声をかけていると、どうも「植物」が味方をしてくれるみたいです。
「植物」は、人間がハンサムだとか、美人だとか、スタイルがいいとか、ヘアスタイルが気に入っているとか、そういった理由で「味方する人間」を選んでいるのではありません。
「植物」は、「いつも大事にしてくれて、声をかけてくれて、愛でてくれて、賞賛してくれる人」を好きになります。「植物」は、「魂の最高峰の姿」である「人間」に喜ばれたくて存在しているからです。

「鉱物」は、誰かに動かしてもらえなければ、自分の意思で動くことができません。
「植物」は、葉を揺らしたり、鳥や風の力を借りて種子を飛ばしたりすることはできても、自分の足で動くことができません。
「動物」は、手足を使って移動することはできても、道具を扱うことはありません。
ですが、「魂の最高峰」である「人間」は道具を使っていろんな所に移動できます。「人間」は、とても自由度が高い存在です。

「鉱物」も、「植物」も、「動物」も、存在物に入り込んでいる「魂」は、すべて同じ方向性を持っています。「喜ばれると嬉しい」という方向性です。でも「喜ばれると嬉しい」という概念を、自分の意思で100パーセント実現できる魂と肉体を持っているのは、「人間」だけなのです。

すべての魂は「喜ばれたい」と思っています。しかし制約が多く、みずから動くことはできません。したがって、「植物」は、制約がなく自由度の高い「魂」が入った「人間」を尊敬しているのです。

 

大変興味深い文章ですね。

私たち人間は、飛行機を飛ばすどころか、月に人を運ぶこともできます。深海何千メートルの世界だって探求することもできます。
そんな優秀な人間も自然の法則、宇宙の法則には逆らえません。
むしろこれを無視したり否定しては、井戸から水をくみ上げることすらできません。

ニュートンもアインシュタインも、この自然の営み、宇宙の仕組みを観察することによって、今の科学の礎を築いてきたのです。

本来、動植物から尊敬されている私たち人間は、万物の霊長として万物を愛で、尊敬されるに値する価値ある人生を送るようになっています。

たとえば植物。土を耕し、種を植え、芽を出させて花を咲かせる。
このプロセスは、アニメ映画のトトロに出てくるワンシーンように、一晩で森を造ることはできません。
農場の法則・秋に何を収穫したいのか?」でも書きましたが、植物は、時間をかけて自然の法則に従って手をかけてやらないと、その期待に応えてくれることはありません。
逆に、心を込めて丹念に育ててやると、よりいっそうの「美」や「収穫」という形でお返ししてくれます。

Hachi 約束の犬

それは植物だけではありません。

先日、家族で「HACHI 約束の犬」という映画を観ました。
ご存知の通り、秋田犬が主人公の「忠犬ハチ公物語」のリメイク版です。

大学教授のHACHIに対する心からの愛は、のちに帰らぬ主人をずっと駅で待ち続けるというHACHIの美しい姿として、多くの人を感動させるわけです。
その飼い主と飼い犬の絆も一朝一夕に築かれたのではなく、長い時間をかけて信頼関係が培われていたのです。

さらに言えば、動物や植物に限ったことではありません。

一時期話題になり、しばらくして科学的根拠がないと叩かれたりもした『水は答えを知っている―その結晶にこめられたメッセージ』という書籍。
人が水に話しかける言葉や感情によって、結晶の形が変わるという内容です。「ありがとう」と言い続けたときはきれいな結晶になり、「ばかやろう」と言ったときは、その結晶が崩れるというのです。これはあながちあり得ない話でもないと思います。

大工や料理人などの職人さんが使う道具でも、大事にするのとぞんざいに扱うのとでは、その仕事の結果に違いが如実に表れると言います。
私も包丁を握ってた者として、それは確信しています。
「職人は道具が命」という言葉は、この観点からも正しいと思います。
「道具が命」ということは、その道具を大切にする心が大事だということです。

生態ピラミッドと食物連鎖

すごく基本的なことですが、動物、植物、鉱物などあらゆる万物は、大事にすればするほど、愛すれば愛するほどその人間を守ってくれると信じていますし、それを子どもたちにも根気強く伝えていこうと思っています。

お命、いただきます!食育の原点」にも投稿しましたが、食事をするときも、きちんと「いただきます」とその食べ物に感謝しながら合唱をして食べる。
これは、万物の霊長としてとても重要なことだと思います。

食物連鎖という観点からも頂点に立つ私たち人間。
また、宇宙や自然のバランスの中で生かされている人間。

季節は実りの秋、収穫の秋。
宇宙と自然の恵みに感謝しながら、動物や植物、足もとに転がる石ころさえも、見る目を変えて付き合っていきたいなと思う秋分の日の朝でした。


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4 thoughts on “万物の霊長としての人間

  1. お兄ちゃん、この食物連鎖のピラミッドはとても大切なことを表しているね。
    大学時代に勉強したことを思い出しました。

    例えばダイオキシン。
    人間は工場で好きなものを作り、それで儲けて、汚染廃棄物を垂れ流した。
    その中のひとつ、ダイオキシンのルートは煙になって空に舞い上がる。
    そして雨つぶに含まれて地上へ落ちてくる。
    大地がそれを受け止める。
    大地に根を張る植物はダイオキシンを吸い上げる。
    それを牛が食べる。
    牛から搾ったダイオキシン入りミルクを人間が飲む。

    この食物連鎖の恐ろしいところは、連鎖を経るごとにダイオキシン濃度が高くなること。
    万物の霊長である人間が自然を顧みず自分勝手なことをすると、全てを汚染し、やがて自分たちに返ってくるのだということ。
    自分を大切にするように自然も道具にも思い遣りをもつことが、結局は自分自身を豊かにすることになるんだね。
    ピラミッドの頂点にいることは、何でも思い通りにできる権限を与えられているわけではない。
    どういう役割があるのか自覚して感謝していきたいね。

    1. fuuちゃん、まさにこの問題の本質はそこなんだよね。

      地球を一つの有機体と考えたときに、万物の霊長である人間自身がガン細胞になってしまってる側面もあるよね。
      人間のエゴでやりたい放題やって、母体である地球を痛めつけてしまってる。
      そしてそれが結局人間に返ってくる。
      このことに気がつかない限り、どんどんガンは進行してしまう。

      いくら地球に自浄作用があると言っても、ガン細胞には勝てない。

      こんなことを子どもたちにはきちんと伝えていきたいね。

  2. 戦争は人類の自然淘汰の方法の一種だと考えていた時がありました。
    限りある地球の資源、水や食料、天然ガスや鉱物等を守り、人類という種を存続させるために、
    増え過ぎた種を自ら殺し合うことで、数のバランスを保つ…というイメージで。
    もちろん、戦争の理由はさまざまで単純ではないけれど、当たらずといえども遠からずでしょう。
    ただ、人間の傲慢で巻き添えをくらう他の生き物は迷惑だよね。
    自然の恵みは条件がそろわなければ、実らない。今年の暑さの影響も大分出ている。
    今こそ、地球規模での「共存」の概念が必要だと思うし、そのために自分のできること、
    身近な所から行動しなくてはと思う。
    まずは子供に自分の考えを伝えて、家庭でできることをやろうと考えています。

    1. Junkoさん、コメント感謝です。

      宇宙船地球号とはよくいったもので、まさに大宇宙に浮かぶ地球という船。
      その限られたコロニーで共存していくしかないことは明白ですよね。
      人間の傲慢さによって生態系や循環システムが狂い、それが人間に返ってくる。

      地球規模の対策も必要とは思いますが、結局は一人ひとりの意識の問題ですよね。
      このような、内容を小さい子どものうちから身につけさせてやりたいですね。

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