米国留学時代の思い出・パート2

グランド・キャニオンはすごい

9月もあっという間に今日で終わり、明日から10月。
今日の東京は朝から冷たい雨。

秋、雨、夕暮れ、、
感傷的な文字列が並んでますが、秋生まれの私としては、秋晴れの空が大好きです。

振り返ってみれば、2010年も色々ありました。
嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、楽しいこと、楽しいこと、、
今日も元気にブログが書けることにただただ感謝感謝の9月最後の夜です。

さて、以前の投稿「アイデンティティ:米国留学時代の思い出」でアメリカに留学していた頃のことを書きましたが、今回はその続きを記憶のままにつづってみたいと思います。

アメリカ留学はラスベガスから始まりました。

ロサンゼルス経由でラスベガスに到着し、まず最初にしたこと。
というか、したかったこと、それは、グランドキャニオンに行くことでした。

これは、アメリカに行く前からの一つの夢で、飛行機で上空からグランドキャニオンを見てみたかったのです。

それで早速色々探してみると、ありました。

8人乗りくらいの小さな飛行機で、ラスベガスからグランド・キャニオンまで飛び、現地で降りて数時間観光して、また上空を周遊して帰ってくるというものでした。


大きな地図で見る

私ははっきり言って、この時に人生観が大きく変わったような気がします。

野生のリス

先カンブリア時代の地層を見ながら、5億年も前からコロラド川の水流によって浸食されたその断崖絶壁や、荒涼とはしていても勇壮な地肌を露わにしたその景色は、ちっぽけなことなど忘れさせてくれました。

テレビや写真で見るのとは大違い。
その壮大さに度肝を抜かれたというのが正直なところです。

この景色も、地球規模で考えると小さなもの。
さらにその地球を包む宇宙となれば、、
そんなことを考えていたら、思わず近くの大きな岩であぐらをかいて、5分ほどただ静かに、瞑想するように景色を眺めてしまいました。

また、歩いていると、赤茶色の岩が砕かれたような土から濃い緑色の低木がいくつか生えており、その影からごく普通にリスがひょこっと現れたりします。
たったそれだけのことなのですが、自然や動物がとっても愛おしく感じられた瞬間でもありました。
日本でも田舎は自然がいっぱいですが、もっと壮大なインパクトとして今でも残っています。

グランド・キャニオンに沈む夕陽が圧巻

圧巻は、最後に飛行機でグランドキャニオン上空を周遊して帰るのですが、そのタイミングがちょうど夕陽が沈んでいくときで、これもまた感動でした。

夕焼けがとても綺麗で、日本で見るよりずっと大きな太陽だったのを鮮明に覚えています。

こうしてアメリカでの13ヶ月間のアメリカでの留学生活が幕を開けたのでした。

ただ、こんな良いことばかりではありませんでした。

ラスベガスで1ヶ月過ごして、ロサンゼルスに移った後、そこで知り合った年上の日本人の友人に、「ねぇ、ジョー(※)、ダウンタウンに行ってビリヤードしよう!」って誘われたので、好奇心旺盛な私は二つ返事でついていきました。
(※アメリカでは私の名前の発音が難しいので、ジョー(Joe)と呼ばれていました)

ちょうど留学した年の春頃にロス暴動があったので、実はこれはとっても危険な行動でした。しかも行動に移したのは夜です。

そこは、スパニッシュ系(南米系)の人たちが集まるプール・バーでした。
私たちは9ボールを楽しむのですが、しばらくしてその友人が、私に1$札を渡しながら、「ジョー、ちょっと車見てきて」って言うのです。
で、外に出て車を見に行ったら、その友人の車に黒人の青年が寄りかかってなにやらガチャガチャやっているではありませんか。

ハスラー2

私が近づいていくとその青年は、ニコっと笑いながら何か言っていましたが、当時の私はほとんど聞き取りも会話もできない状況で、何を言っているかわかりません。
でも、その時はじめて1$札の意味がわかって、その青年に渡したら、何か言いながら去っていきました。

ただ問題は、これが5分おきにしなきゃいけないことだったのです。
5分経って見に行ったら、また別の少年か青年がいるのです。

ある少年は服の下から銃のようなもので脅しながら「1$じゃぁダメだ」みたいなことを言うので、5$を与えてやったりもしました。

後でこの話を別の友人に話すと、「おまえ、よく夜のダウンタウンに行ったな!!」「二度と行かない方がいいよ」って言われました。
当然ですよね!
今から考えても、あまりにも無知で無謀でした。

いやー、これにはカルチャーショックを受けました。
と同時に、ここまでしてビリヤードがやりたいのか?
とも思いましたが、その友人はけっこう楽しんでるようでしたし、よく一人で来てるとも言ってました。

私も学生時代、渋谷や横浜などでビリヤードはやってましたが、全く違う光景です。

この時に感じたのは、「世界は広い」ってことと、もっと「世界を見てみたい」ということでした。
それまで約25年間、日本しか知らなかった者として、もっともっと世界をこの肌で感じたいと思ったのです。

よく、「グローバルな視点が必要」だとか、「もっと地球規模で物事を考えないと」とか、言いますが、本当にそう思います。
海外にただ旅行するのはなく、住んでみて初めて見えてくる視点がたくさんあります。
だから、留学や駐在は、もし可能であれば、是非してみるべきだと思うのです。

もちろん、敢えて危険なところに行く必要はありませんが、1年いただけでも人種差別の問題や、価値観の違いを思い知らされましたし、生まれ育った日本という国の良さや、日本人としての自分を客観的に見つめることができたのは、とてもプラスになりました。

この海外での生活は私なりの人生哲学を構築していく上でも大きな大きな土台になっていると思います。

これ以外にも、車の事故とか、リトルトーキョーのジャパニーズマーケットでの裏のバイト(魚屋)だとか、まだまだ話はあるのですが、またの機会にお話したいと思います。

またまた最後までわたくし事のお話にお付き合いいただきましてありがとうございました。

明日から10月、2010年も残すところ3ヶ月、楽しく過ごしましょう!


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7 thoughts on “米国留学時代の思い出・パート2

  1. Hi Joe!
    ん…なんかしっくりこない。
    やっぱり、お兄ちゃんの方がいいかな^^

    お兄ちゃんの留学のお話、わくわくしながら読みました。
    壮大な景色と様々な人達の混在する文化や習慣、
    どちらからも、大きな世界を感じました。

    グランドキャニオン、私も見てみたいなー!
    自然の力で、あれだけ大きな景観が生まれるなんて
    実際に見たら心臓が直接なでられたようなショックと感動があるんだろうなぁ。
    飛行機で上空から見るのも素敵!

    私が過去に見たおおきなものはピラミッドだよ。
    自然にできたものではないけれど、過去の人の成したことの壮大さと
    なんのためにしたのか分からないくらいのおおらかさと真剣さと
    大きいのに、丹精込めて作られた美しさ、それが自然に浸食された歴史の長さを目の前にして
    感嘆の声を上げたり、ぽかんと口を開けたまま、日が暮れるまで砂の上に座ったりして眺めていました。
    口の中が砂だらけになっちゃったけど^^

    想像以上のおおきなものを見ると、壮大とか偉大だとか大きな言葉が出てくるね。
    そして、私も、宇宙のことまで考えてしまったの。
    ピラミッドは太陽系と連動しているから、昔の人も大きな宇宙を感じていたのかな。

    そして、私達と同じ人間同士でも、コミュニティが違うと考え方も文化も違うんだね。
    私は海外で生活したことがないから、まだ知らないことが沢山あるけれど、
    日本に来てる、いろんな国の人と接すると、
    ちょっとした習慣や価値観が行き違いになることを体験したよ。

    言わなくても相手も分かっているはずだっていう考えは日本独自のものなんだなーって、
    実際にトラブルを体験してみて分かったの。
    そして、それを解決することは、とても難しくて勇気のいることだった。
    日本人でさえ、黙っていても分かり合えない。
    わかったふりをする空気を読むことは長けている。
    ある場面では謙虚な美徳となるんだけれど。
    分かり合いたい、分かってもらいたいなら、ちゃんと意見を言うことは大切だよね。

    意見を言うためには
    しっかりと思考を構築していなければならない。
    教育を受けること、ぐんぐん吸い込むこと、誰かに与える経験、
    自分を確かめながら
    家を建てるときのように、ひとつひとつしっかり組み立てていきたいなって思いました。

    ちょっと前に、自分探しって流行ったよね。
    私ね、どこに行っても自分は探せないと思ってるの。
    だって、自分は自分の中にしかいないもんね。
    探すものじゃなくて、つくるものだと思うの。
    自分を作りたいなら、新しいことを吸収するのが1番。
    自分がどう感じるのか観察したり、考えたり、乗り越えて笑ったり、失敗して泣いたりすることが、
    いまの自分を知る方法。

    ひとりだけでは限界があるよね。
    誰かと接する関係の中で自分の姿が見えてくる。
    だから、経験するってとっても大切だね^^

    ダウンタウンのビリヤードは、もしかしてパシリだったのかな…;;
    さりげなく、書いてるお兄ちゃんが天使に見えました☆
    あぶないめに合わなくてよかったね。

    私も、何もしらない頃、
    帰り道に深夜のすすきのをひとりで歩いていて、
    あ〜怖いんだってことを知ったことがあるよ;;
    だいじょうぶだったけど。

    知らないってこわいね。
    知ってるつもりもこわいけど。

    こんなものだろうっていう予測や想像が、全部そうじゃなかった時、
    人は初めて、自分の力で動くのだし、
    それが、その人の本当の力や成長を知る機会になるよね。

    だから、予定調和を覆すほどの景色や出来事に遭遇するのは
    自分の思い込みや固定観念を壊す貴重な体験。
    そうでもしないと、人って自分から変われないものね。

    またまた、たくさん書いちゃった:p

    お兄ちゃんの、お話はいつもとっても楽しいです。
    沢山の大切な経験を、肯定的な言葉を選んで書いてくれるから。
    これからも、楽しみにしてます!
    ありがとう^^

    1. fuuちゃん、史上最長のコメント、ありがとう!(笑)
      いつも投稿の全ての内容に対して丁寧にコメントしてくれるので、一つひとつがフィードバックされて、すごく勉強になるよ。

      グランドキャニオンの大きさは、「母なる大地」というイメージがズシーンと目に焼き付いたし、心に響いてきたよ。
      私もピラミッドやモヤイ像、サクラダファミリアとか、人間が作ったものも見たいと思ってる。
      あと、オーストラリアのエアーズロック。これは神様が置いた岩と言われてるよね。
      世界中、いろんなところをまわってみたいな。

      逆にミクロの世界もすごいよね。
      水や雪の結晶なんかも美しいし細胞レベルの話も面白い。
      本当にまだまだ知らない神秘的なものがたくさんあるよね。

      人と人とのコミュニケーションは、色々すれ違いや勘違いがあるよね。
      「空気を読む」とか「暗黙の了解」なんて言葉も、一歩間違えば、大きな誤解を生むことって往々にしてある。
      何かのプロジェクトを進めたり、仕事の上でのコミュニケーションは、特にそう。
      結局、「私はあなたにこれだけのことを期待していますよ」ってことを明示してあげることが大事だなって思う。
      「これぐらいはやってくれるだろう」と勝手に思ってたことに対して、全く期待はずれな結果しか返って来ないときに、勝手にショックを受けたり、その人をさげすんだりしてしまう。
      だから、日本人的な配慮も必要な時もあるし、それが美徳な点もあるけど、初めからお互いが共通の目標やゴールの認識を持った上で始めるという、西洋的な進め方も必要ときもあるよね。
      この辺の感覚も海外で痛いというほど思い知ったよ。

      海外での生活って日本にいるときより以上にたくさんの事を考えるし、色々な心情を味わうから、すごく脳が活性化される感じ。
      何の本だったか忘れたけど、「外国で流す涙は自国で流す涙の数倍の価値がある」って言葉を読んだことがあるよ。
      私は海外生活で泣いたことはないけど、それだけさまざまな思いになって、日本にいるとき以上に心の成長ができるってことだよね。

      あ、ビリヤードの話はね。パシリと言えばパシリなんだけど、その先輩は私に色んなことを経験させたかったんだと思うんだ。私だけじゃなくてその人も見に行ってくれてたしね。
      どっちにしてもビリヤードは楽しめなかったのは事実。(笑)

      fuuちゃんの言うように、
      日本にいても、海外に行っても、自分は探せないよね。
      でも新しい環境や人間関係の中で、「こういう場面ではこんなくよくよするんだ」とか、「けっこう勇気あるじゃん!自分」とか、今までにない自分に気づくときがあるよね。
      それまでの思い込みや固定観念を壊すいいチャンス。
      この時に、その自分の中の自分を認識し、受け入れ、次のステップへ持っていってやることが、自分の成長になると思う。

      こういうやりとりの中からも、客観的に自分を見つめることができるよね。
      色んな人のコメントを読みながらいつもそう感じるよ。

      fuuちゃん、いつも本当にありがとう。

  2. 空から眺めるグランドキャニオン、沈む夕陽…。
    壮大で悠久の時が流れる、自然の営みが生み出した創造物を前にして、
    ちいさなちいさな無力な自分。人生観が変わるってわかるような気がします。

    今まで自分が知っていた世界と全く異なる未知の世界を知ると、
    ぐらんぐらん足元を揺さぶられて、あっちへ行ったりこっちへ戻ったり、
    いやおうなく考え方を修正せざるを得なくなります。

    人間はそうやって、産まれてから年を重ねるにしたがって
    どんどん自分の住んでる世界を広げていくんだと思う。
    そして、それが成長するということなんだと。

    たくさんの経験をすることによって、自分の五感で感じて
    心からの実感として物事をとらえなければ、
    軸の通った信念や考え抜かれた価値観には達しないと思います。
    他人の気持ちもわからない。寄り添うこともできない。

    そうやって形成されたものを、
    どんどん新しい経験で、さらにアップデートしていく。
    死ぬまで続く、終わりなき作業です。

    子供の頃から、ひとはなぜ産まれて生きるのかという
    問いの答えを探し続けてきました。
    わたしの母は「産まれて来たから生きるのよ。それが答え。」と言ったけれど
    それではあまりにもつまらない答えだと、がっかりしたのを覚えています。

    けれども、それはある意味、真理を突いていて
    ある時期から、「答えを探し続けて生きることそのものが、
    生きる目的なのかもしれない」と気づいたのです。

    なぜなら、その問いに正解はありません。
    そのひとそれぞれが自分の内に、その答えをもっているから。

    D’où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?
    Where Do We come from? What Are We? Where Are We Going?
    我いずこより来たるや、我何者なるや、我いずこへ行かんとするや

    ゴーギャンが最期に描いた絵に書かれた言葉。
    自分が何者なのかを知ること。
    何が好きで、何ができて、どんな人生をどんな人たちと共に生きたいと考えているのか。

    わたしにはまだ、おぼろにしか結論は見えていないけれど、
    かなり核心に近づいているのではないかと最近感じています。

    海外に行くと、24時間違う世界に投げ込まれて、
    どんな些細な事も、後から血となり骨となって残るような気がする。
    出会いも含めて全ての体験が宝物になります。

    宝物をたくさん持っている人は素晴らしい。
    できるだけ、たくさんの人たちに宝物を分けてあげようね、さな爺。
    わたしも、ぜひ協力したいです!

    fuuちゃんへ、心のおもむくまま、恐れずにもっと広い世界へ羽ばたいて。
    あなたには、帰る場所もあるし、あなたを愛して待っている人たちが大勢います。
    だから、大丈夫♡♡♡

    1. Junkoさん、今回も深い深いコメントありがとうございます。

      D’où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?
      Where Do We come from? What Are We? Where Are We Going?
      我いずこより来たるや、我何者なるや、我いずこへ行かんとするや

      私はこれと同じような言葉を、中村天風さんの書籍で見つけました。

      「我、いずこよりきたり、いずこに行かんとす。何のためにこの現象世界に人間として、生まれ来しや」

      以前、fuuちゃんとの会話の中で、「自分の宇宙を創造する」という表現をしたことがありますが、人は何のために生まれてきたのかというと、以前、「自分の宇宙を創造する」ために生まれてきたんだなって、ストーンと腑に落ちた瞬間がありました。
      自分の五感で、自分のできることをやり、やりたいことをしながら、私という宇宙を生み出していく。それが未熟だと他の宇宙とぶつかってしまったり、どこかにはじかれたりするかもしれません。
      そうやって、それぞれの宇宙(世界や星でもいいですが)が影響を与え、与えられながら、引力とその反作用でうまいことバランスを取りつつ、さらに大きな宇宙を形成する!みたいな。。

      なにやら話が壮大になってきましたが、日本を飛び出して海外に出たり、人と人との出会いの中で、全く新しい世界が見えたり、そこで出会った人が私の鏡になって、本当の私の姿を映し出してくれたりします。

      国内外にかかわらず、今ある環境や人間関係、日々経験することは自分自身の器を大きくしてくれる材料となっていますよね。人の成長ってそんなものなのかなって思います。

      お母様がおっしゃった「産まれて来たから生きるのよ。それが答え」という言葉は、確かにある意味、達観した人の言葉ですね。
      すごくシンプルでいて、すごく深いです。

      雨粒として大地に落ちてきた私たちは、木の葉や枝をつたい、一旦地中にもぐり、川に流れ出た後、海にたどりつく。。
      そしてまた雲になって、ある時が来たら、別の形で別の場所にまた雨粒として落ちてくる。。

      意外と宇宙の真理(法則)ってシンプルなのかもしれませんね。

      Junkoさんやfuuちゃんもたくさんの宝物を持っていますよね。
      私もその宝物の恩恵にあずかっている一人です。

      宇宙と宇宙が出会うとただの足し算の宇宙ではなく、さらに大きな宇宙が誕生し、加速度的に膨張していくような気がします。

      大変心強いお言葉、ありがとうございます。

      なにやらワクワクしてきました!^^v

  3. Junちゃん。
    ありがとう。
    私へのメッセージ、とってもうれしかった^^
    ほんとうにありがとう!

  4. お兄ちゃん^^
    えへへ。
    コメントほんとに長かったよね^^;

    お兄ちゃんは、留学して泣いたことないんだ。
    つよいね!
    私は、こっちに来てから泣いたことあるよ。
    国内なのにね^^

    いつも見ていた景色が、どこを見渡しても見えないし
    友達とも離れてしまって淋しくて。
    もう少ししたら慣れるはずだからって頑張っていたら
    ある日、くるしくなって泣いていたの。

    もし、私が海外に行ったら、きっとまた泣いちゃうんだろうなー。
    でも、そのぶんわくわくすることもきっとあるんだよね。

    大きな自然もすごいし、小さなミクロの世界もすごいよね。
    人体の仕組みを知ると、全てが宇宙の法則のように理路整然と存在していて
    勉強を忘れて、なんともいえない気持ちになったことを覚えてるの。
    私や他のみんな…人間ってひとりひとりがすごい。
    だから、自分自身も、それ以外の人も大切にしなくちゃって思ったの。

    地球の外に宇宙が広がっているように
    自分の中にも宇宙は広がっているんだね。

    お兄ちゃんが教えてくれた仕事についてのお話。
    どきっとしたの。
    どきどきっとしたから、まだ考え中ね。^^

    それから、お兄ちゃんとJunちゃんのお話にも
    どきどきどきっとしたよ。

    Where Are We Going?

    私の考えていたベクトルは、ちょっと違う方向かもしれないけれど
    どこかできっと、つながる。

    ありがとう^^

    1. ことりちゃん、おはよう。

      海外で泣いたことがないといっても、悔し涙とか、孤独な涙は心の中では何度も流しかもね。
      小さい頃から、「男はなくもんじゃない」っていう思いがあったから、こらえてきたのかな。

      いっぱい「どきどき」したんだね。^^

      Where Are We Going?

      自分自身、ホントにどこに向かっているんだろう?って思う時もけっこうあるよ。
      でも、その時感じたこと、やろうと思ったことに真剣に取り組んでいった先には
      必ず何かの実りがあるって信じてるよ。^^

      ことりちゃんも、アインシュタインみたいにいつもポジティブだし、
      一生懸命だから、どの道を選んでも、きっと良い結果をもたらすと思うよ。

      ことりちゃんからは、いつも良い刺激をもらってます。
      ありがとう!

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