中庸:「答えは一つ」という錯覚

北海道あたりでは天気予報に雪のマークがチラホラ出始めましたね。
一雨毎に寒くなる、まさにそんな季節。

道行く人に、マスク姿の人が増えたような気がします。
私の周りでもけっこうたくさんの風邪引きさんがいます。
睡眠不足と体を冷やすことがよくないようです。用心用心!

さて、この「サナギ・ブログ良いとこ取りの人生哲学」を始めて間もなく一年が経ちます。
そのずっと前から一応読んではいましたが、人生哲学、成功哲学、宇宙の法則、潜在意識、心理学、ビジネス系、スピリチュアルなどなど、特にこの一年で相当数の本を読んできましたし、バリバリ実践もしてみました。

みなさんもお気づきだとは思いますが、同じジャンルの書籍を読むと、似たようなことが書いてあると同時に、まったく正反対のことが書いてあったりもします。
私自身も最初は、「どっちなんだろう!」と思ったことがあります。でも、そこがまさに「良いとこ取りの人生哲学」。

この辺のことに関してわかりやすく書かれている文章を『鏡の法則』で有名な野口嘉則著『心眼力』から引用してみます。

ある人が、ある成功者の書いた本を読むと、「あなたには無限の可能性がある。大きな夢を描こう」と書いてありました。また、他の成功者の本を読むと、「幻想を抱くな。現実的な目標を目指せ」と書いてありました。

その人は、この2冊の本の内容が矛盾していると感じ、混乱してしまいました。

また、ある自己啓発書を読むと、「目標を決めたら、詳細なプランを立てよう。それを一歩一歩実行していこう」と書いてあり、また、別の自己啓発書には、「方向性だけ決めたら、あまり細かなプランは立てない方がいい。融通がきかなくなるから」と書いてありました。

やはりその人は、混乱しました。

さらに、あるビジネス書を読むと、「リスクマネジメント(危機管理)こそ大切。常にマイナス情報に目を光らせよ」と書いてあり、別のビジネス書には、「小さいことを思い煩うな。楽天主義で前進すれば道は開ける」と書いてありました。

ついにその人は、「どっちが本当なんだ!?」と怒り始めてしまいました。

その人は、自分では気づいていませんが、「正解は一つしかない」という思い込みをもっています。ですから、AとBという二つの考え方があると、「どっちが正解なんだ!?」と混乱するのです。

実際、ある状況ではAの考え方のほうが役に立ち、別の状況ではBの考え方のほうが役に立つ、ということもあります。

また、AとBの中間あたりに有効な考え方が見つかる場合もあれば、まったくAでもBでもない、新たな考え方が必要になってくることもあります。つまり、ケースバイケースで臨機応変に考える柔軟性が必要なのです。

一つの考え方にかたよったり、極端に走るのではなく、その状況に置ける最適なバランスを取っていく、そのあり方を“中庸”と言います。

『菜根譚』にも、行き過ぎや極端をいましめ、中庸を促す言葉が出てきます。現代語に訳したものをいくつかご紹介します。

「自分を磨くためには、厳しく自分の行動をチェックする必要があるが、その一方では、ものごとにこだわらない精神も大切である」

「理想は高くもつべし。しかし、あくまでも現実に立脚しなければならない」

「緻密に思考しなさい。しかし、枝葉末節に囚われてはいけない」

ここで言う中庸とは、二つの考え方のちょうど真ん中を取るか、足して二で割るという意味ではありません。その場の状況に応じて、最適なバランスを見つけるということです。

正解は一つではありません。臨機応変にバランスをとっていくことが大切なのです。

また私たちは、他人と欲求や意見が異なる場合、「どっちの欲求を優先するか」「どっちの意見が正しいか」について議論をすることもあれば、ときに喧嘩する場合もあります。

この場合も、「正解は一つしかない」という思い込みに囚われています。一つしかないと思っているから、自分の欲求や意見のほうを通そうとするのです。

もしかしたら、おたがいの欲求や意見を満足させるような、新たな解決策があるかもしれません。

(中略)

答えは一つしかないという思い込みのために、私たちは異なる考え方の間で混乱したり、本来する必要のない戦いをしてしまっているのです。

答えは一つではありません。いや、答えは無限にあるのです。

 

実はこのブログ自体も、投稿によっては正反対のことを書いてあったりします。

例えば、「安心領域と目標設定」と「自然体:無理に頑張ることはない」は、逆のことを書いています。

でも、逆だからといって、どちらかが正しくてどちらかが間違っているというわけではありませんし、私自身の頭の中が分裂状態かというと、そうではありません。時とシチュエーションに応じて、両極端の間のグラデーションな部分でバランスの良いところをとっていくという感じです。
そう、逆のことのようだけど、どちらも良いとこ取りの人生哲学なのです。

このブログのタイトル「良いとこ取りの人生哲学」が、まさに「中庸」の考えから来ています。

「中庸」に関しては、守屋洋著『[新訳]大学・中庸』から引用してみます。

君子は中庸す。小人は中庸に反す。

君子は何事においても中庸を旨とする。これに対し、小人は極端に走る。

孔子の語ったことばとして、『中庸』のなかにこのことばが引かれている。

ちなみに孔子は、『論語』のなかでも、一回だけ中庸の徳にふれている。

「中庸の徳たるや、それ至れるか。民鮮(すくな)きこと久し」

中庸は最高の徳だが、人々は長いことそれを忘れている、というのだ。

では、中庸の徳とはどういうことなのか。

朱子の解説によれば、
偏らざる、これを中と謂(い)い、易(かわ)らざる、これを庸と謂う。中なる者は天下の正道なり庸なる者は天下の天理なり
だという。つまり、「中」とは不偏、「庸」とは不易である。

中庸は一見平凡ではある。だが、このレベルに到達するには絶えざる修養を必要とすることは言うまでもない。

 

少し堅い表現になってしまいましたが、「中庸」を大辞泉で引くと以下のようになります。

[1] かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「—を得た意見」「—な(の)精神」

[2] アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。

「中庸」とは、儒教の経書『四書』である『大学』『中庸』『論語』『孟子』のうちの一つで、書の名前でもありますが、それ自体の意味がとても重要なのです。

何かの問題や懸案事項があるとき、その解決方法に困ることがあります。
こちらを立てればあちらが立たず、あちらを立てればこちらが倒れる。。

そんなときに、少しでも多くの解決方法や選択、決断の力を持っていれば、よりバランスのとれた答えを出しながら前に進んでいくことができると思うのです。

そのためには、豊富な経験と豊かな知識や知恵を持ち合わせていることが大事です。
なので、「若いうちは苦労を買ってでもしなさい」とか、「なるべく多くの良書を読みなさい」と言われるのです。

「中庸」の考え方で行くにも、自分の中の引き出しや思考のフローが乏しいと、考えが偏ってしまったり、軸がぶれたりしてしまいます。

ありとあらゆる価値観や、どうでも良いような情報まで氾濫する現代のデジタル情報社会。
こういう時だからこそ、能動的にアナログ的に泥臭い経験をたくさん積みながら、より多くの良書に出会っていくべき時かなと思う次第です。

パソコンに向い、ネットサーフィンをしていると、ついつい奧へ奧へ、横へ横へと流されていきがちで、あっという間に時間が過ぎてしまいます。
これは私も経験済みなので、よくわかります。
はっと気がつけば、1時間2時間が。。
見た目、能動的に情報を探して、何かを得たような気になるかもしれませんが、目的意識を持っているかどうかで全然違ってきます。
目的意識のないテレビ鑑賞やネットサーフィンは受動的になってしまい、時間の無駄遣いになることが多々あります。

私自身、こういうことに気づくのが遅かったので、少し反省していますが、今からでも遅くないと思っています。

個人、家庭、職場、さまざまな社会生活において、まったく予期せぬことが起きたり、さまざまなシーンで大小さまざまな決断を迫られることのある我が人生。
答えは一つだけという錯覚を取り去らなきゃなと!

人恋しい秋、深まる秋、積極的にたくさんの人と出会い、そして読書にふけるのもよろしいかと。

そしてより能動的、主体的にあらゆる経験を積み、良書にも触れながら、偏ることなく、軸のぶれない、そんな人生を歩んでいきたいなと思うキリッと寒い水曜日の朝でした。


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3 thoughts on “中庸:「答えは一つ」という錯覚

  1. お兄ちゃん、こんばんは。

    ほんとに、あっという間に寒くなってきたね。
    でも、暑いのが苦手な私は、これからの季節がいちばん好き。
    空気がキリッとしてるもんね^^

    全てに逆があること。
    私もいつも意識してるの。
    今度、そのことをブログに書こうかなーって思ってたところ。
    お兄ちゃんは、哲学から書いてくれてて
    私の頭の中で心理学と比べながら読んだので
    とっても面白かったよ^^

    中庸っていう言葉は中くらいっていう意味とは違うんだよね。

    人間は、スッキリする答えを求める傾向があるから
    誰かが、こうだ!って断言してくれたら、
    それに納得して、ついていきたくなる。
    本を読んで、答えを求めたりする。

    でも、答えはそんな簡単なものじゃなし
    誰かが与えてくれたのは、自分の答えじゃないもの。

    いつも変化していて、実態をつかむのが難しくて、相対的。
    人の心がそうだから。

    一度こうしようと思っても、次の瞬間にはやっぱりあっちがいいかな、なんて思うもの。
    そうして悩むからこそ意味があるんだよね。

    だから、答えも方法もひとつであるわけがない。
    目的に向かって
    その人だけのプロセスがある。

    感情と知恵と意志の三角形のバランスをとりながら
    自分だけの、その時々の相応しいものを選んでいくの。

    なーんて、色んなこと書いてるけど、
    実際に問題に対峙したら、
    How To 系通りにはいかない…
    すごーく悩むし、もうダメかも…とか思ったりしちゃう。

    だから、体験することって大切なんだよね。
    間違ったら何度でもやり直せばいいんだもの。

    ね^^

    風邪ひかないように気をつけようね。
    お兄ちゃん^^

    1. fuuちゃん。
      コメント、ありがとう。そしてブログ開設おめでとう!

      fuuちゃんが言うように、全てに逆があるよね。
      そして、その極と極の間に答えが見つかったり、まったく違う場所にあったりすることもある。
      それに気づいたときに、新しい脳のニューロンが形成されていく感じ。

      だから、たくさんの問題に遭遇し、たくさんの経験を積むことがとても大切だってことなんだよね。

      コメントの中に、「感情と知恵と意志の三角形のバランス」って出てきたけど、まさにその通りで、私は「知・情・意」って呼んでるよ。
      この三角形のバランスを取りながら、あらゆる問題に対処していくことができたら、いつも最善、最良のソリューションになっていくと思う。

      同じ問題が起きたとしても、その時とシチュエーションによって解決方法が違ったりするよね。
      また、あまりにも難しい問題だと、一歩も動けなくなったり、そこから逃げたしたくなることもある。

      それでも、逃げないで対していくときに、それが自分自身の財産、経験値として積まれていくよね。
      そして、その日々のその積み重ねが人格を形成し、人間として成長していくことができるよね。

      今回も長〜い仕事明けで疲れているのに、コメントをありがとう。
      あまり無理をしないようにね!

  2. お兄ちゃん。

    私、逃げたくなるようなところで、逃げないように向き合ってる。
    今は精一杯で、成長してるのかどうか分からないんだけど、
    きっと、後から何か分かるのかもしれない。
    そう思ってるの。

    ありがとう。

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