自己受容:すべての人間関係の元になる関係

今朝、冷たい強風が吹く中、幼なじみであり、親戚でもある友人の家にお線香をあげに行ってきました。
つい先日、彼のお父さんが亡くなったのです。

幼稚園の頃から仲良しだった私たちは、それぞれの家を行き来しながら、ドッジボールや爆竹で遊んだり、カブトムシや魚を捕ったりしたものでした。
彼の家に行くといつも朗らかなお母さんと温厚なお父さんがおり、私たちの面倒をよく見てくれました。

私の父の従兄弟でもある彼のお父さんは、この近所でも有名な人格者で、誰からも慕われ、頼りにされていた存在。人間関係という観点では、家族も近所の人も誰も悪く言う人はいませんでした。
幼なじみの話によると、それほどまでに彼のお父さんは、まわりの人に心配りをしていたようです。

さて、人間関係といえば、人の悩みの大半は、人間関係によるものだそうです。
たしかに、私たちが家庭や職場、学校やコミュニティで生活する中で、人間関係を無視しては生きていくことはできません。

むしろ、生きていく大前提としての人間関係と言っても過言ではないでしょう。

今回は、その人間関係の元になる関係から「自己受容」という単語をキーワードとして書いてみたいと思います。

以前、「受容:すべてを受け入れるということ」でも似たような投稿をしましたが、また別の角度からの考察です。

まず、前回の投稿でも紹介した『心眼力』から引用してみます。

人間関係を楽しむためには、まず“ベースとなる人間関係”を良好にすることが重要です。では、ベースとなる人間関係とは、誰との関係なのでしょう?

そうです。それは自分自身との関係なのです。

自分自身との関係は、自分の中の「見つめる自分」と「見つめられる自分」の関係です。見つめる自分が、無条件に自分の存在を受け入れると、自尊心が高まっていきます。

一方、見つめる自分が、「こんな自分はみっともない」などと、いつも厳しく自分を裁いてしまうと、劣等感が募ってしまいます。

人間関係を豊かに築いていくためには、自分と違う考え方をもった相手を受け入れていく必要がありますね。そして、「あなたがどのくらい他人のことを受け入れることができるか」は、「あなたがどのくらい自分のことを受け入れているか」ということと比例するのです。

つまり人は、自己受容ができるようになるほど、他者受容もできるようになります。逆に、「こんな自分じゃだめだ」と自分を受け入れていない人は、他人を受け入れることもできません。

ここで、自己受容を妨げるものを三つ紹介します。

まず一つ目は、他人との比較です。他人と比較する限り、自分の価値は相対的に上がったり下がったりで、安定しません。

相手と自分を比べて、相手をしただと思うと見下して優越感にひたり、相手が上だと思うと劣等感を感じて卑屈になるのです。こうなると、他人が競争相手になってしまい、その競争に勝つためにエネルギーを消耗してしまいます。

(中略)

自己受容を妨げる二つ目のものは、減点思考です。これは、「自分はここがだめだ」「あれができなかった」と、自分のマイナス面に焦点を当ててしまう習慣です。

とくに、自分に完全さを求めてしまうと、減点だらけになってしまいます。人はみな本来、不完全な存在なのですから。

(中略)

自己受容を妨げる三つ目のものは罪悪感です。人は誰もが過ちを犯します。そのとき、その行動に対して反省し、自分を改めることは大切です。しかし、行動を反省するだけでなく、自分自身を責め続けてしまうと罪悪感が募ります。

この罪悪感が「自分は悪い人間だ。受け入れられる価値のない人間だ」とつぶやき、自己受容を妨げるのです。

心から行動を反省したら、自分自身をゆるし、「自分は素晴らしい存在だ」というセルフイメージを持つようにすることが大切です。

 

ここに、自己受容を妨げる三つの項目が出てきます。

①他人との比較

②減点思考

③罪悪感

この三つに心あたりはありませんか?

たとえば他人との比較。
「あの人の能力と実行力が私にあったら、、」とか、
「自分はどうして彼のように何事にも粘り強くできないんだろう!」とか、、

減点思考、これは私も7年ほど前までありました。
それまでは完璧主義的なところがあった私は、仕事にしてもプライベートにしても、全てにおいてパーフェクトを目指していたところがありました。できなかったことに対していつも目が行ってしまうのです。
でも、これって疲れるんですよね。
疲れるだけならまだしも、どんどん自由な思考ができなくなっていき、焦りが出てきます。

私はこの完璧主義を捨て、自然体を心がけようと決めたとき、縛られていた鎖から解かれたような感覚があったのを思い出します。

ここで、もう少し続きを引用します。

グッド・ウィル・ハンティング』という映画があります。主人公である天才少年ウィルは、心に深い傷をもち、心を閉ざしていました。

そのウィルに対して、ロビン・ウィリアムズ演じる精神科医が、ある言葉を繰り返し伝えます。その言葉とは、「君は悪くない」という言葉です。

その言葉によってウィルは泣き崩れ、ついに心を開くようになります。私たちは、自分自身をゆるすことで、罪悪感から解放され、心を開き、本来の自分らしさを取り戻すことができるのです。

 

自己受容を妨げる項目、三つ目の罪悪感に関しては、自分で自分をゆるすということ以外にその呪縛から放たれることはありません。
あるいは別の立場から見てみると、上記グッド・ウィル・ハンティングに出てくる精神科医がウィルにかけた言葉のように、「君は悪くない」と言ってあげることによって、他の人の自己受容を促すことができます。

また、ここで紹介した書籍『心眼力』が発売されたときにリリースされた「僕を支えた母の言葉」という記念ムービーがあります。
このムービーは、自分の息子にかけ続けたある母親の言葉が出てきます。
その言葉は、「おまえは素晴らしい」
まだご覧になってない方は是非この機会に。

同書から自己受容に関して、さらに引用してみます。

ここで、自己受容についてもう少し説明しましょう。自己受容は、自己肯定とは違います。「自分を好きになること」とも違うのです。

たとえば、自分の内気な性格を好きになれない人がいるとします。その人が、「内気なことは素晴らしい」と自己肯定しようとするのは無理がありますね。また、自分を好きになれないのに、「自分を好きにならなきゃいけない」と考えるのも無理があります。

受容するとは、今の自分をいいも悪いもなく認めて、ゆるすことです。「私は内気な性格なんだな」「私はそんな自分のことが好きになれないんだな」と、ありのままの自分を認めて、そっくりそのまま抱きしめるのです。

この自己受容をしっかりやっていくと、次第に自分のことも好きになり、自己肯定できるようになっていきます。

また自己受容は「どうせ自分は内気な人間なんだ。変えることなんてできないんだ」と、あきらめたり妥協したりすることとも違います。
自己受容ができて、今の自分としっかり向き合うことができると、自然に向上心が湧いてきて、自分の変えられるところを変えていこうという意欲も湧いてくるのです。

(中略)

あなたがあなた自身を受け入れるのに、どんな条件も必要ありません。

あなたは、あなた以上でもなければ、あなた以下でもないのです。

あなたがあなたであることを認め、そのままのあなたをしっかりと抱きしめてあげてください。

 

ここに出てくる「そのままのあなたをしっかりと抱きしめてあげてください」という言葉、とってもいい言葉ですよね。まさに親が子どもを抱きしめるような感覚で自分自身を包み込むのです。

春があれば冬があり、昼があれば夜があり、光があれば影があるように、私の中にも長所もあれば短所もあります。実はこの短所というのも、別の角度から見たら長所になるかもしれません。

何はともあれ、全てを内包しているのがこの宇宙だとしたら、私の中にもさまざまな要素、全てを内包しているというわけです。
それをそっくりそのまま自分で抱きしめてあげることができたら、次のステップに進めるはず。

私たちの人生で、とても重要な「人間関係」。
全ての人は素晴らしい存在としてこの宇宙に生まれました。
まずは自分自身が素晴らしい存在であるということを知ったとき、全ての人が素晴らしいと思えるようになるはずです。

最後に、中島みゆきさんの『誕生』という曲をご存知でしょうか?
少しだけ歌詞を抜粋して、今回は締めくくりたいと思います。



めぐり来る季節をかぞえながら
めぐり逢う命をかぞえながら
畏れながら憎みながら いつか愛を知ってゆく

泣きながら生まれる子供のように
もいちど生きるため泣いて来たのね

Remember 生まれた時だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して最初に聞いた Welcome

Remember 生まれたこと

Remember 出逢ったこと

Remember 一緒に生きてたこと

そして覚えていること


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ  ポチッと!

 

4 thoughts on “自己受容:すべての人間関係の元になる関係

  1. ご無沙汰しています。パソコンを開く回数が減って、サナギさんのブログも三つ四つまとめ読みするこの頃です。

    「自分自身をどう受けとめるか?」「どうしたら人間関係が良くなるか?」「自分の納得いく生き方は・・?」ずっと考えてきたけど、知・情・意すべての面で人間には習慣的な癖があり、その枠組みの中で感じたり考えたりしている限り、エンドレスの葛藤が続くのでしょうね。
    その習慣的な癖の一つが「自己」と「他者」の区別や比較なのかなと思っています。
    「わたし」と「あなた」は同一ではないのだから、区別や比較はあって当たり前なのかもしれないけれど、それが罪悪感や優越感、劣等感などにつながるという悪循環に陥っていくなら、せっかく生まれてきたのにちょっと寂しい。
    「わたしとあなたは根本では一つなんだ!」「あなたはあなたのままで、わたしはわたしのままで十分すばらしい!」と互いに笑顔で言える習慣、自分自身もあるがままで喜べる習慣を作っていきたいですね。

    いつも素敵な歌や動画をありがとうございます。もちろんブログ自身も!

    1. ケイさん、ご無沙汰しておりました。

      「自己」と「他者」の区別や比較の習慣って本当にそう簡単には直らないですよね。
      だから、それはそれでいいのではないかなと思っています。
      比較すること自体は動物的本能なので、そのまま受け止めてしまうのです。
      なので私は、比較した後、評価をしないようにしています。

      そうすると、相手の価値、自分の価値は傷つかずにそのままいられるような気がします。

      いつも読んでくだっさってありがとうございます。

  2. お兄ちゃん。

    昨日ね、私のおじいちゃんの命日だったの。
    それで、おじいちゃんからの手紙を読んで
    おじいちゃんに手紙を書いたの。

    おじいちゃんの手紙に書いてあったことが
    お兄ちゃんのブログに書いてあってびっくりしたの。

    どうしよう
    涙がでてきちゃう

    おじいちゃんは5歳までの私しか知らないの。
    だけど、素晴らしい、愛してるって言ってくれたの。
    それは、いままで私を守ってくれたの。

    お兄ちゃんが書いてくれたことを
    心で感じることができたのは
    おじいちゃんのおかげなの。

    こまったな…
    なんか真似したみたいにそっくりの手紙を書いてしまったから
    どきどきしてるの

    お兄ちゃんが、このことを考えてるとき
    テレパシーで受け取ったのかな。

    とても不思議な気持ちになりました。

    そして、確かだと思うのは
    誰かを助けるのも自分を支えるのも
    愛なんだなってこと。

    おじいちゃんからのメッセージのような気持ちで読みました。
    ありがとう
    お兄ちゃん。

    1. fuuちゃん、
      おじいちゃんへの手紙、読みました。
      おじいちゃんの命日だったんだね。

      本当にfuuちゃんのことが大好きで、いつもfuuちゃんのことを「素晴らしい」って言ってくれてたんだね。
      今回は、私のブログを通しておじいちゃんがメッセージを送ってくれたのかもね。

      今、色々難しいことを一人で背負い込んでる時かも知れないけど、おじいちゃんをはじめ、たくさんの応援団がいるよ。
      だからファイトー!

      いつもコメント、ありがとう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。