感情への共感と意図への共感

急に寒くなってきて木枯らしが吹いたと思ったら、また気温が上がったり、先週末には台風が来たりと、全国的になにやら慌ただしい気候が続いていますが、気がついてみれば今日から11月。

今年も後2ヶ月となりました。

でもここで、もう2ヶ月しかないと思うより、あと2ヶ月もある!と考えてみようかなと。
そうすると、年初に立てた目標や、やりたいなと思っていたことなどを洗い出し、改めて計画を立て直す余裕が出てくるかも知れません。
あるいは、まったく新たな気持ちで、新たな自分を創っていくサナギのような2ヶ月間になるかも知れません。準備期間を経て、2011年1月1日からまったく新しい自分としてスタートするというのもいいですよね。

さて今回のタイトルは、「感情への共感と意図への共感」。
ここ最近何回か引用している『心眼力』から少し引用してみます。

妻が夫に対してもつ不満の中で一番多いのは何かというと、「私の話を聞いてくれない」というものだそうです。ところが、夫のほうは、「毎晩、話を聞いているじゃないか」と言うそうです。

夫としては毎晩のように話を聞いているのに、妻は「聞いてもらっていない」と感じている。これはどういうことでしょうか?

(中略)

夫婦の会話の場合、たとえば妻が何か悩み事を話した場合、多くの夫は、「じゃあ○○をしたらどう?」とか「そんなときは、□□□って考えたらいいんだよ」と解決策を提案します。妻の行動や考え方を変えようとするのです。

すると妻は、「話を聞いてもらえなかった」と感じることが多いのです。「あなたに話すんじゃなかった」なんてことになる場合もあります。

妻としては、解決してほしいんじゃなく、最後まで聞いて、気持ちをわかってほしいのです。「辛かったんだね」とか「イヤな思いをしたね」という共感の言葉がほしいのです。

共感してもらうことによって、「わかってもらえた」という安心感が得られ、それだけで楽になるのです。

「優しさ」の“優”という字を見ると、“人”の横に“憂い”とありますね。憂えている人の横に、人が寄り添っているようです。

まさに、「辛いんだね」「悲しいんだね」と寄り添い共感する姿を、優の字は表しているのです。

共感の言葉は、相手を優しく包み込むとともに、相手との人間関係を愛に満ちたものにし、おたがいの信頼感を高めます。

 

心あたり、ありませんか?

これは何も、夫婦のやりとりだけでなく、親子や恋人同士、友人、同僚、上司と部下、先生と生徒などの人間関係でも言える話です。

相手の言葉に耳を傾け、真剣に聞いてくれても、その言葉一つひとつに、「それはこうだからそうなっちゃうんだよ」とか「そこがだめなんだよ」とだめ出しをしたりされると、その人に相談したり話しかけるのもいやになってしまう場合があります。

以前の投稿「理解してから理解されるということ」で「感情移入の傾聴」という言葉が出てきますが、そこにはこう書かれています。

感情移入とは、相手の見地に立ち、相手の立場から物事を眺め、相手が見ている世界を見ることであり、相手のパラダイムを理解し、相手の気持ちを感じとることなのだ

相手と同じ感情になることは難しいし、その必要はないのですが、まさに自分の経験や知識などを最大限に動員して、相手が見ている世界と同じ世界を見るように努力することで、理解が深まるはずです。

ところが、どんなに感情移入の傾聴をしようとしても、難しい場合も多々あります。

さらに同書から引用してみましょう。

次のようなケースであなたは共感できるでしょうか?

(一)A課長は、ある問題に対する解決策を考え、その案を部下たちに話しました。すると部下の一人が、「もっといい解決策があります」と言って別の案を提案しました。それを聞いたA課長は怒り出し、「おまえの案は現実的じゃない」と批判しました。

(二)朝、仕事に出かけようとする夫に対して、妻のB子がこんなことを言っています。「ちょっと待って!あなたは貫禄がないんだから、せめて身だしなみくらいはきちっとしなきゃ。いつものように髪型が乱れてるわよ。そのシャツにそのネクタイも合わないわ。ネクタイを替えた方がいい。それからあなた、表情も疲れてるわ。もっと元気を出してよ」。それを聞きながら、夫はますます疲れた表情になっていきます。

さて、このA課長やB子に対して、あなたは共感できるでしょうか?「せっかく部下が提案をしているのに、A課長はなぜ怒るのだろう?私だったら怒らないので、A課長には共感できない。それに、A課長のような人は嫌いだな」とか、「B子は、自分が夫を疲れさせているって気づかないのかな?どんな感情からこんな言葉を言っているのか、私には理解できなし、共感もできないな」などと思う人もいるでしょう。

その人の感情に共感しようと思っても、なかなか共感できない場合があります。そんな場合は、その人の意図に共感するようにするとよいのです。

ひとはさまざまな意図をもって行動しますが、あらゆる意図の根本にある意図は、「喜びを味わいたい」か「苦痛を避けたい」かのどちらかです。そして、誰もがこの二つの意図をもって生きています。

(中略)

私たちは、人に共感することによって、慈しみをもってその人を見ることができるようになります。

その人の感情に共感できないときは、「この人は、喜びを得たいのか、もしくは苦痛を避けたいんだな。私と同じだな」と考えて、その人の意図に共感するようにしてみてください。この訓練をやっていくと、それまで受け入れられなかった相手の言動を、受け入れることができるようになるのです。

「この人は間違っている」と裁きながら人と接するのと、「この人の意図は理解できる」とまず共感しながら人と接するのでは、築かれる人間関係の質が大きく違ってきます。

まず共感するところから人と接し、豊かな人間関係を築いていきたいものです。

 

この引用文中に、『「喜びを味わいたい」か「苦痛を避けたい」かのどちらか』という表現が出てきますが、これはこのブログでも投稿した「人が行動するときの動機:快楽と痛み」に出てくる「快楽と痛みの原則」そのものです。

人はつねに、快楽を得ようとし、痛みを避けようとしています。

たとえば、私を攻撃してくる人がいるとします。
私がその人のことを本当に理解し、人間関係も上手くやっていきたいと願っているならば、まずは感情への共感を試みるべきでしょう。

それでも理解できないときは、意図や動機、つまり「喜びを味わいたい」のか「苦痛を避けたい」のかまで掘り下げていってみて、意図への共感にチャレンジしてみるのです。

「感情への共感」は自分の経験や似たような価値観をもっている場合、比較的しやすいかも知れませんが、「意図への共感」は表面的、感情的な言葉や行動の背後にある動機や意図にまでおよぶので、そう簡単ではありません。
でも、そこまで行ってみて初めて相手のことを理解できるということはけっこうあるものです。

人間関係を無視しては生きていけない私たちの社会生活。
少しだけ、大きな耳、小さな口、優しい目で、周りの人と接してみませんか?

見える世界、聞こえてくる音、そして自分が発する言葉がきっと変わってくるはずです。

とか言いながら、全て自戒の念をこめた内容となってしまいました。
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


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2 thoughts on “感情への共感と意図への共感

  1. 深夜の長いtweetにひと段落して、
    さて…と読んでみたら、思わず苦笑い。ぷぷぷ。

    懐に短剣を忍ばせて、悪事の証拠をつかもうと
    手ぐすね引いているわたしには
    とても参考になるお話しでした。

    今回注目したのは、「意図への共感」について。

    快楽と痛みの原則からすれば、
    わたしが直面しているのは、
    「苦痛を避けたい」人々の悪意
    ということになるんだろうけれど、
    「苦痛を避けたい」イコール「楽をしたい」
    と考えていいのだろうか?という疑問が湧きました。

    直面している悪意は
    「楽をしたい」に限りなく寄っている。

    苦痛を避けることを押し進めていくと、
    楽をしたいに行き着くと思うのですが
    イコールでないような気がする。

    それとも、
    「喜びを味わいたい」=「楽をしたい」なのか?

    どっちにしても、わたしからすれば
    「いいかげんにしろ、楽してるば場合じゃないぞ!
     やることをやれ!」(喝)なんですけれども。

    大変失礼しました。
    つい、感情的になりました。

    大きな耳、小さな口、優しい目で彼らに接して
    人間関係を円滑にしないと、
    今いる場所を天国になんかできないね。

    早く天国化しないと、次へ行けないから、
    がんばります。

    1. じゅんこさん、深夜の深いツイートじっくり読ませていただきました。
      他のフォロワーさんと空間を超えてのツイートも、なんだかワクワクしながら感動さえ覚えました。

      さて、「意図への共感」ですが、
      「苦痛を避けたい」=「楽をしたい」
      という図式ではないと思います。
      もちろん共通する部分もあるとは思いますが、、
      今回のブログにもその解釈では書いてないです。

      また「喜びを味わいたい」と「楽をしたい」も完全なイコールではないですが、共通する部分はたくさんあると思います。

      たとえば、「アリとキリギリス」のアリのように刹那的に楽をしていると、あとで苦痛を受けるようになるわけですが、その瞬間はとても楽しく喜びを味わっているのでしょう。

      そういう意味で、その職場の人たちは、「苦痛を避けたい」と「喜びを得たい」という意図や動機が刹那的に入り交じってるアリ状態のではないでしょうか。

      ・保身
      ・コントロールしたい
      ・自尊心を傷つけられたくない
      ・異物を排除したい

      分析していくときりがないし、私自身全ての状況を把握しているわけではないので、好き勝手なことは言えませんが、のちの痛みを連想しながら、それを回避していく行動や、のちの快楽を連想しながら現実の痛みを受け入れ、消化していく行動の積み重ねというのがなされていない感じですね。

      早い話が、キリギリスのように建設的で、将来や全体を見越した行動ではないですね。

      いずれにせよ、じゅんこさんを取り巻く世界の軸はじゅんこさんご本人なので、軸の先が北極星を指しており、軸自体が大きくぶれることがなければ、自然と遠心力で吹き飛ばされるなり、しがみついてくるなりの現象が現れるのではないでしょうか。

      正直、しんどい環境だとは思いますが、乗り越えられると確信しております。

      いつもコメント、ありがとうございます。

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