適性:仕事と結婚と入れ歯

よく考えてみれば、あと4日もすれば2011年。

街には、大きな門松や獅子舞などが飾られ始めました。

海外で過ごす友人の中には、一足早く有休を取り、もうすでに日本から脱出してしまっている人もいます。

テレビは特別番組ばかりだし、ゴミ出しの期限も、燃えるゴミ、プラスティック、ビン・缶、どんどん締め切られてきました。

いよいよ新年までのカウントダウンが始まったという実感がやっとわいてきたという感じです。

さて、今日は、ツイッターのフォロワーさんから教えてもらった書籍から、「適正」について書いてみようと思っています。

本のタイトルは『街場のメディア論』(内田樹著)です。

まだ読んでる途中ですが、冒頭に興味深い内容があったので、引用してみます。


勤め始めてすぐに仕事を辞める人が口にする理由というのは、「仕事が私の適正にあっていない」「私の能力や個性がここでは発揮できない」「私の努力が正当に評価されない」、だいたいそういうことです。僕はこの考え方そのものが間違っていると思います。仕事っていうのはそういうものじゃないからです。

みなさんの中にもともと備わっている適性とか潜在能力があって、それにジャストフィットする職業を探す、という順番ではないんです。そうではなくて、まず仕事をする。仕事をしているうちに、自分の中にどんな適性や潜在能力があるのか、知らない。知らなくて当然なんです。知らなくてもぜんぜん構わないと僕は思っています。自分が何に向いているか知らないまま就職して、そこから自分の適性を発見する長い長い旅が始まるんです。

就職というのはその点で「結婚」と似ています。
みなさんは、結婚というのはまず「自分にピッタリした配偶者に出会うこと」から始まると思ってますでしょう。それが間違いなんです。そうじゃないのね。「まず結婚する」んです。そこから話が始まる。結婚してみないと、自分がどういう人間なのか、そもそも結婚に何を求めているのかなんて、わからないものです。結婚してはじめて、自分の癖や、こだわりや、才能や、欠陥が露呈してくる。「ああ、オレって『こういう人間』だったんだ」ということがわかる。

(中略)

結婚してみないと、配偶者としての能力や資質が自分にあるかどうかなんてわからない。どれほど相手を愛することができるか、わからない。不安でしょうけど、結婚したあと幸福になるか不幸になるかは、結婚する前にはわからない。それは結婚生活の幸福は自然過程じゃなくて、自力で構築するものだからです。

 

私も色々な職業を経験してきましたが、よく考えてみれば、上記の内容にはとても合点がいきます。

自分に合った仕事って、仕事をやってもみないのに、わかるわけはありません。

訳がわからなくてもやり始めてみたら、そのおもしろさと、自分の能力に気付くという事は何度も経験してきました。

この仕事を、結婚になぞらえているところがまたわかりやすくていいですね。

確かに、「絶対に幸せにする!」と言って結婚しても、そんなの結婚してみないとわかりません。
結婚してみてはじめてわかる自分の器のカタチや小ささに、愕然とすることもあります。
まさにそこからがスタートなんですよね。

それは、結婚とは、人間同士の関係性から学び、育んで行くものだからです。

この本は、さらに違うものをたとえとして出してきます。

結婚は入れ歯と同じである、という話があります。これは歯科医の人に聞いた話ですけれど、世の中には「入れ歯が合う人」と「合わない人」がいる。合う人は作った入れ歯が一発で合う。合わない人はいくら作り直しても合わない。別に口蓋の形状に違いがあるからではないんです。マインドセットの問題なんです。

自分のもともとの歯があったときの感覚が「自然」で、それと違うのは全部「不自然」だから厭だと思っている人と、歯が抜けちゃった異常、歯があったときのことは忘れて、とりあえずご飯を食べられれば、多少の違和感は許容範囲内、という人の違いです。自分の口に合うように入れ歯を作り替えようとする人間はたぶん永遠に「ジャストフィットする入れ歯」に合うことができないで、歯科医を転々とする。それに対して、「与えられた入れ歯」をとりあえずの与件として受け容れ、与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するように自分の口腔中の筋肉や関節の使い方を工夫する人は、そこそこの入れ歯を入れてもらったら、「ああ、これでいいです。あとは自分でなんとかしますから」ということになる。そして、ほんとうにそれでなんとかなっちゃうんです。

 

仕事と結婚と入れ歯は同じようなものなんですね。

今ある環境、与えられた条件、これらを如何に有効活用し、自分の力でものにしていくか!ということなのです。

私は入れ歯をしたことがないので、結婚や仕事に関して考えてみます。

私も新婚当時、色々ありました。
「なんで、ここでそうするかなー?」とか、
私一人プンプン怒っているのに、妻はなぜ私が怒っているかがわからない、、とか。。

でも、全く違う環境で、全く違う歴史を歩んで来た二人。
その他人同士の二人が、それぞれの価値観をもちながら、一つ屋根の下で暮らしはじめるのですから、大小の摩擦が生じても当然ですよね。

上記の引用文中の「マインドセット」とは、

経験、教育、先入観などから形成される思考様式、心理状態。
暗黙の了解事項、思い込み(パラダイム)、価値観、信念などがこれに含まれる。

という意味があります。

そういうマインドをガラッと切り替えてみることで、職場も結婚生活も入れ歯のフィット具合も、全く違ったものに見えてくるという話です。

適正、適正、といいますが、相手や環境が私の適正に合ってないと嘆くのではなく、その環境や人間関係の中で、自分の最高のパフォーマンスを発揮するにはどうすべきかを考える、ということが大切なのです。

結局行き着くところは、

人生は心ひとつの置きどころ」(中村天風)
なんですね。

街場のメディア論
大学生から一般社会人までオススメの一冊です。


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2 thoughts on “適性:仕事と結婚と入れ歯

  1. さすがの書評ですね!私もこの章には感銘を受けました。卒業を控える生徒の進路は私にとって大きな課題。昨今のキャリア教育の流れですぐに適性に合った進路と考えてしまいます。そのことがむしろ子どもたちの将来の選択肢を狭めているのかもれないということに気付かされました。
    適性よりも、子どもたちをさらに引き上げてくれる次の環境、職場かもしれないし、大学、専門学校、またはまったく別のところかもしれないですが、そんな環境を見つけて提示できることが必要なんだと思っています。

    「人生は心ひとつの置きどころ」いい言葉ですね。さなさんの人柄大好きです。ぜひお仕事でも関わりが持てたらいいなぁと考えています。

    1. いのパパさん、コメント、ありがとうございます。

      教育現場で直に生徒や先生たちと接しながら、さまざまな問題や葛藤の中で、日々歩んでおられると思います。
      そのお姿、日頃から尊敬しております。

      まだ社会経験のない生徒たちに、「適性」ということを押しつけても難しいですよね。
      その可能性を見出してあげ、自分自身の気付きの中から、人生を切り開いていけるような、そんな教育環境が理想なのかも知れませんね。
      おっしゃる通り、「環境」、これが教育の場で一番重要ですね。

      私も「教育」に関しては昔から関心を持っておりますし、将来的に関わっていきたいと思っています。
      その時は是非、一緒にお仕事で関わりが持てたらと思っております。

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