適性:召命と天職

さすがにここ数日、年末の慌ただしさの中に、毎日更新していたブログも2日間途切れてしまいました。

そんなバタバタ状況もなんとか片付けて、昨夜一ヶ月ぶりに田舎に帰ってきました。
帰ってきたら、「お父さんにやってほしいこと」がてんこ盛り。

・年賀状の印刷がうまくいかない
・サンタにもらったiPodの設定
・使えないG-mailの設定
・リビングの蛍光灯を交換
・冷蔵庫買い換え
・お墓とほこらの掃除
・車庫と倉庫(農機具)の整理
・その他こまごまと。。

今日、明日中に全部片付けてしまおうと思っています。

さて、頼まれごとと言えば、今から約20年前、魚屋で仕事をしていたときに、店長から「刺身注文書」なるものを作ってくれとの依頼を受けました。
当時、従業員でパソコンを使っている人が私しかいなかったので、仕方なく作ったのですが、それが大評判だったのです。

自分自身でも「こんなことができるのかぁ」「けっこう楽しい」って感じで、どうやらそれが今の自分の職の種になったようです。

今回の良いとこ取り引用は、先回の投稿「適性:仕事と結婚と入れ歯」で紹介した『街場のメディア論』(内田樹著)から引き続き引用してみます。

よく「ポストが人を作る」と言いますけれど、ほんとうにそうなんです。「ポスト」というのは言い換えれば「他者からの期待」ということです。こういう能力を持つ人が、こういうクオリティの仕事を完遂してくれたら「ありがたいな」という周囲の人々の期待がポストに就いた人の潜在能力を賦活する。

仕事について考えるときに、ことの順番を間違えてはいけないというのはそのことです。「自分が何をしたいか」「自分には何ができると思っているか」には副次的な意味しかありません。こと生得的才能に関しては、自己評価ほど当てにならないものはありません。

 

「s・a・n・a・g・i」フローで【s:self-awareness 自覚】は最初の重要なスタート地点。
どんなに自分探しをしようとしてみてもそう簡単に見つかるものではありませんが、他者からの期待や依頼から自分の適性やできること、やりたいことが浮かび上がることが多々あります。

もう少し引用してみますね。


人間がその才能を爆発的に開花させるのは、「他人のため」に働くときだからです。人の役に立ちたいと願うときにこそ、人間の能力は伸びる。それが「自分のしたいこと」であるかどうか、自分の「適性」にあることがどうか、そんなことはどうだっていいんです。とにかく「これ、やってください」と懇願されて、他にやってくれそうな人がいないという状況で、「しかたないなあ、私がやるしかないのか」という立場に立ち至ったときに、人間の能力は向上する。ピンポイントで、他ならぬ私が、余人を以ては代え難いものとして、召喚されたという事実が人間を覚醒に導くのです。

宗教用語ではこれを「召命」(vocation)と言います。神に呼ばれて、ある責務を与えられることです。でも、英語のvocationにはもう一つの世俗的な意味もあります。それは「天職」です。callingという言葉もあります。これも原義は「神に呼ばれること」です。英和辞典を引いてください。これにも「天職」という訳語が与えられています。

「天職」というのは就職情報産業の作る適性検査で見つけるものではありません。他者に呼ばれることなんです。中教審が言うように「自己決定」するものではない。「他者に呼び寄せられること」なんです。自分が果たすべき仕事を見出すというのは本質的に受動的な経験なんです。

 

もう今年も今日と明日を残すのみとなり、今年一年をちょっと静かに振り返ってみましたが、「他人のため」とか「人を喜ばせてあげたい」という動機からやってきたことが、結果的に実りになってるなぁと感じます。

もう一つの幸せ論』の著者、小林正観氏も似たようなことをよく言っていますので、以前の投稿「人に喜ばれる存在とよき仲間たち」なども参照してみてください。

この世に生まれてきたということは、ある意味「召命」を受けたわけですから、今の環境、つまり家庭や人間関係、職場での立場などを見渡してみれば、すべては感謝なことばかり。
「自分には合わない仕事だなぁ」とか思ったりすることもあるかも知れませんが、実は毎日「天職」をこなしているのかも知れません。

今朝の田舎はどんより曇っていますが、時折顔を覗かせる青空を見ながら、来年も与えられた環境に感謝しながら素敵な仲間たちに囲まれて、歩んでいけたら良いなと感じるひとときでした。


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5 thoughts on “適性:召命と天職

  1. 私の考えは少し違うかもしれません。
    それでも、多様性の一部なので書いてみようと思います。

    私は、自分の好きな道に進んだのか、ということを第一にしたいと思っているの。
    どんな道に進んでも、こんなことまでやるつもりじゃなかったのに…なんて嫌なことは付き物なのだから。

    やりがいは、誰かのために役に立てた時。
    それが、自分の好きなことを通してだったら
    こんなに幸せなことはないと思っているの。

    私自身がどのように存在していたいのか
    何を理想としているのかと考えるとき
    自ずと、好きな道へ導かれるのだと思います。

    それは、望んでいなかった道の中に見つけることもあるかもしれないし
    好きな道の中に嫌なことと混在一体になっているのかもしれません。

    この世の中に、生きていて困難でないことなどないのだから。

    1番いけないのが
    自分のやりたいことだけ考えて
    少しでも嫌なことがあると、こんなはずではなかったと諦めることだよね。

    最近はこういう子が多いけれど
    それは、良い師がいないことも関係あるのだと思います。

    そして、自分に合わない仕事だと感じても
    それを自分に合う、より良いやり方へ変えていく気概も必要だよね。

    出来上がったお弁当を買って、これはマズいからと文句ばかり云ってるようなものだもの。
    合う仕事にしたければ、美味しい料理を作ってごらん。
    私は後輩にいつも、こう云っています。

    料理を作るには、基礎が必要だから。
    さしすせそ。とかのルールは美味しくするための智慧。
    クリエイティブを発揮したいなら、基礎をしっかり学ぶ必要があるでしょう、と。

    作るのは大変な作業もあるけれど、食べる人が喜んでくれるなら楽しい料理になる。
    そんな仕事ができれば幸せね。

    出だしは少し違ったけれど
    結論は同じかも。

    でも、天職って
    やっぱり好きなことに呼ばれると思ってるよ。
    それが困難な道だとしても。

    1. fuuちゃん、コメントありがとう。

      人生を歩んでいく上で、たくさんの人と出会い、
      さまざまなことに挑戦するうちに、
      痛切に感じることは、価値観の多様性。

      自分のやりたいことがはっきりしていて、
      それに向かってどんどん前へ突き進んでいける人もいれば、
      何をやりたいのかがわからず、指示待ちタイプで、
      人に言われたことだけをただこなしていく人も。。
      はたまた、本当はこういうことをやりたいのに、
      いつもどこかで妥協したり、自分を押し殺してみたりする人もいるよね。

      自分は、本当にやりたいことをやっているのか?!
      と自問自答し、身もだえしながら仕事をしていくうちに、
      道が拓けてきたり、気付きを与えられたりしながら、人って成長していくのかもね。

      そんな中で、fuuちゃんが言うように、師の存在ってとても重要だと思います。

      一生を通して師となる人もいれば、
      要所要所で、私自身の人生の軌道を修正してくれたり、
      新しい道を提示してくれたりする。

      そういう意味では、私は師はたくさんいた方が良いんじゃないかなって思ってるよ。
      ここでいう師とは人であったり、書籍であったり。。

      そして守破離を適用していくことによって、
      「自分」という一つのブランドができあがっていく、って感じ。

      で、気がついてみれば、今、自分のやってることが天職だ!
      って思えるようになっていれば最高だよね。

  2. そうそう。
    やりたいことに真っすぐ向かうタイプと
    サポートしたり、指示を待つタイプの人もいるんだよね。

    世の中は、このバランスがうまくできてるみたいで
    ある心理学者が統計を取ったんだけど
    龍馬のように改革者に憧れる人は多いけれど
    自分がリーダーになりたいと思う人は少ないんですって。
    だからバランスが取れているんだよね。
    みんながリーダーだとバラバラになっちゃうもの。
    そして、配偶者を選ぶ女性も、龍馬のようなタイプより
    安泰な生活を送れる中間層が1番好まれるっていう結果がでたの。

    これを見ても分かる通り
    自分の好きなことが他のひとも好きとは限らないんだよね。

    中間層は競争率が激しそうだけど
    私は龍馬タイプが好きだから関係ないの…ふふふ
    あ、でも、なかなか出逢えないというハンデがあるけれど。

    あれ?話がずれたかも。

    お兄ちゃんの云う通り、師は沢山いたほうがいいよね。
    私にも沢山います。

    天職は待っているだけじゃなくて
    天職にしていくものなのね。

  3. クリスチャンです。
    召命、天職という用語は、キリスト教界の概念です。

    仕事は神から与えられ、与えられた運命の中で、喜びを見出すことが職業につくものの使命である。(神により仕事を与えられ、世俗にあって聖なるものを発見していく)

    反対に、仕事中に殉死しても神のご計画である(神の意図による死として、肯定的な意義を見つけていく)キリスト教において神のご計画(運命全般)を肯定することが重要であり、個人個人が神と対話して、自分の運命に意味と意義を感じるていく過程が人生です。

    上記の抽象的単語 ⇒ 神 運命 喜び(悦び) 世俗 聖 計画 人生
    を具体的に考えていく分野ですので、これらを詳述できるようになりたい人向きです。

    元々、人間の才能は神から与えられたものであり、神のためにこれを使う という発想があります。

    1. 天職とはさん、コメントありがとうございます。

      私自身、視野が狭い分、このようにして多方面の方から色々教えていただけるので、とても感謝しております。
      そのたびにインターネット(ブログやツイッター、メールなど)は素晴らしいインフラだとつくづく感じます。

      詳細なる単語のご説明、とても良い勉強になりました。

      重ねまして、ありがとうございます。

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