親身になるということと2011年前半総括

今日から7月。
夏ですっ。

海が私を呼んでいる〜!!

ということで、2011年の後半スタート。
前半、色々ありました。公私ともに。

小さいのも含めればたくさんありますが、大きな出来事は次の3つ。

03.10 転職を決意

03.11 東日本大震災

04.01 新しい職場でスタート

節目・選択・決断・実行、そして人生美学でも投稿しましたが、3月10日に離職を決断した時点では、次の職場は白紙状態。

その後、嘘のように今の仕事が決まっていったのですが、私にとっては忘れられないくらい大きな節目になりました。

節目と言えば、
2000年の暮れ、まだ幼い2人の娘と一緒に東京で暮らしていた私たち夫婦は、ある大きな決断を下しました。

私だけ単身赴任として東京に残り、妻子を徳島の私の実家に送るということでした。

以前の投稿「単身赴任してまで田舎暮らしするわけ」や「親子三代で暮らすわけ」でもお話ししましたが、子どもたちはどうしても田舎で、しかも親子三代で育てたかったのです。

中でも、子どもたちにとってはお婆ちゃんである私の母と接する機会を持たせたかったという思いがありました。

私の母は、ちょうど終戦の年、1945年に10人目の末っ子として生まれました。

同じ町内の父と結婚した母は、我が家に長男の嫁として嫁いで来たのでした。

21歳で最初の子である私を生み、39歳で末っ子で5番目の弟を産み育てて来た母には苦労をかけっぱなしです。

そんな母が、今回の暑さゆえに熱中症で倒れたと聞かされたのは、ちょうど一週間前の先週の金曜日。

今日は電話でとても元気な声を聞き、ほっと一安心。

なにしろ母は「私」がない人で、朝から晩まで自分以外の人のために動いているような人。
自分のことはいつも一番後回し。
我を忘れ、夫のため、子どものため、孫のため、姉妹のため、隣人のため、、
周りの全ての人に気を配る人。

家族旅行に行ったあるときなどは、仲居さんやウェイターのお兄さんにまで気を遣うほど。

さらに、とても辛抱強いがゆえに、胆石になったり、肝炎で動けなくなるまで働き続けたり、今回のような熱中症に。。

この人は、一体いつ気が休まるんだろう?と思うくらい。

息子の私が言うのもなんですが、私はそんな生き方の母を心から尊敬しております。

年下であろうが、小学生の孫であろうが、出先で出会った見も知らないおばちゃんであろうが、とことん人の話に耳を傾け、親身になってうなずくその姿。

月に一度くらいのペースで徳島の実家に帰りますが、帰るたびに母を通して人としての原点に立ち帰ることができます。

今日はまたなぜ母のことを書きたくなったかと言いますと、
昨日の夜から今朝にかけて、今年前半6ヶ月の総括をしていたときに、公私ともに色々あったけど、すべてが感謝だなぁとしみじみ思ったのです。

その中でも私の周辺の人、家族や同僚、友人知人、Twitter仲間、一人ひとりに感謝の言葉を考えていたら、最近体調を崩していた母のことが妙に気になって、小さな頃からの母との思い出をたくさん回想したのでした。

親という存在は、子どもがどんなに反抗しようが、憎まれ口を叩こうが、無条件に愛し、抱きしめ、そして包み込んでくれます。
もちろんきつく叱られたこともありましたが、親身になるとはまさにこのことなんだなと。

今日は新月。

よく、太陽は父を、月は母を象徴したりしますよね。

今日はお月さまは見えないけれど、いつでも柔らかな引力と程よい光で私たちを見守っていてくれる。
そんな感じ。

親としての私たち夫婦も、子どもたちにとってそんな存在なのだろうか?
と振り返りつつ、今年の前半を感謝で締めくくり、後半を希望と決意でスタートした7月1日の夜でした。

新月の夜、何か願い事をすれば、満月に適うそうですよ。

あ、太陽のような父のお話はまた機会があればということで。

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


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