男女脳と磨き石:なじる人は傷ついている

なんと、8月最初のブログ更新が20日になってしまいました。

昨日の雨ですごく涼しくなった東京。

秋の気配がちらほらと。
そんな季節ですね。

子どもたちにとっては、夏休みの宿題が気になる時期。
我が家の中3長女と小6次女はバッチリみたいだけど、小3長男と小1末っ子は、お姉ちゃんたちにたしなめられながら、今になってワーワー言っているようです^^;

自分の経験からも、こんな時、父親が近くに居たらいいんだろうなと、ふと思ったりします。
そういえば、今年は海にもプールにも連れて行ってやれなかったなぁ。。
いつも夫不在の家を守ってくれている妻と母には感謝。

突然ですが、妻と言えば、結婚当初、私には妻の言動がよく理解できず、一人プンプン怒っていたことがよくあります。

「なんでゴミ箱をここに置くかなぁ」とか、
「そんなことをなんで今話すの?」とか、
今から思えば、ホントに小っちゃなことです。

そんな妻はというと、私が何故怒っているのかがわからず、結局は喧嘩にもならないという。。

また、仕事から疲れて帰ってきて、ご飯を食べながら、私はどちらかというと、将来の夢とか、仕事上のおもしろい話をしようとするのですが、妻はというと、
「このはるさめさぁ、西友で10円だったんだよ!」とか、
「今朝階段でちょっとつまずいて転びそうになったんだけど、大丈夫だった」とか、
ホントにどうでもいいような話をするのです。

私は、昔からしゃべるより聴くほうが得意らしく、どんな話でも耳を傾けることができましたが、そんな話を延々と1時間もしゃべられたら、さすがに嫌気が差すかもしれませんね。

そんなこんなで、私自身、同じ人間でも、男性と女性とはそもそも思考方式が全く違うということを常々考えてきました。
そんな中、少し前に読んだ書籍でかなりクリアになったので紹介したいと思います。

ここ5,6年、ちまたでは「脳」に関する書籍や話題が溢れていますが、仕事でも個人的にもとても興味があったので、アンテナを張っていたところ、男女の話と脳の話がうまいことまとめられた書籍と出会ったのです。

会社の女子職員たちから勧められて読んだ『夫婦脳 – 夫心と妻心は、なぜこうも相容れないのか』(黒川伊保子著)という書籍です。

これより先に出た『恋愛脳 – 男心と女心は、なぜこうもすれ違うのか』と合わせてベストセラーになっているので、既に読まれた方も多いと思います。

本書からまず男性脳と女性脳に触れた箇所をピックアップしてみます。

神は、この世に、男性脳と女性脳をお創りになった。片方は、空間全体を把握して、すばやく危険を察知したり、獲物までの距離を正確に認識したり、複雑な図面を理解したりする。この組合せは、とても合理的だ。脳を遠距離両用のハイブリッドにすると、判断が遅れる。どっちかに集約しているからこそ、瞬時に危険を見分けられるのだ。遠くの危険と、近くの危険を瞬時に見抜く脳の組合せが夫婦というものなのだろう。
しかも、発情しあう男女は、免疫抗体の型が遠く離れて一致しない。男女は、体臭の一部で免疫抗体の型を知らせ合っており、その型が一致しないほうが、互いの好感度が高いからだ。
免疫抗体の型、すなわち外界に対しての生体としての反応がことごとく違う男女が、まったく違うものの見方で一緒に暮らす。夫婦の脳は、一対で精緻なメカのようなものであり、けっして離れてはいけない。恋とか愛とかを超えた、ともに生きる意義がそこにはある。
結婚式のあいさつなどで使われる“夫婦は一心同体”ということばの本当の意味は、ここにあるのだと思う。感性がことごとく違う二人が、チームとして完全体の組織を作り上げる。心を一つにするのは、健やかな暮らし=よりよい生存という生物としての使命を果たす思いにおいてであり、「同じことを感じ、考える」ことではない。
したがって、「夫婦は一心同体」ということばを履き違えると、夫婦という組合せは、かなりしんどいことになる。新婚カップルにこのことばを贈るときは、どうか正確に伝えてほしい。

 

多分、上記の引用部分だけ読んでも、「うんうん」とうなずいている人、けっこういると思います。

全く違う歴史と生い立ちを持ち、価値観も性格も違う二人の他人が、ある時を境に突然一つ屋根の下で一緒に暮らすようになるのですから、最初は「あばたもえくぼ」の時期はあったとしても、だんだんアラが見えてくるのは当たり前ですよね。

『心を一つにするのは、健やかな暮らし=よりよい生存という生物としての使命を果たす思いにおいてであり、「同じことを感じ、考える」ことではない。』
という部分は妙に納得しました。

だって、男性の脳と、女性の脳はそもそも同じようにはできていないのだから。

もう少し本書から引用してみますね。

女性脳は、男性脳に比べ、右脳(感じる領域)と左脳(考える領域、言語機能局在側)の連携が遥かにいい。そのため、感じたことが即ことばになる脳なのである。
美味しい焼き鳥をほおばりながら、女たちは言う。「このじゅわっと出てくる肉汁がたまらない。皮もしっかりとしてるよね」「スパイスが絶妙なのよ」「ゆずこしょう?」「そうそう、それそれ!」「こんな美味しいもの食べられて、私たち、しあわせよねぇ」「ねぇ〜っ」
こんな姦しいおしゃべりを五十〜六十代の男たちがしているのを、見かけたことがあるだろうか。感じたことが即、顕在意識にあがる女たちは、自分の感情変化にも、目の前の人の感情変化にも敏感に反応する。互いの感情を察しあって共感しあうのが、女性脳にとっての対話すなわちコミュニケーションなのである。
だから、自分の身に起こったとりとめのない出来事を、会話にして垂れ流す。今、口にしている料理の味、さっき店の前で転びそうになった話、今朝、寝坊しそうになった話等々。受ける相手は、ただただ共感して、受け流していけばいいのである。
間違っても、勝手に問題解決はしない。「相談があるんだけど」「どうしたらいい?」と尋ねられるまでは。それが、女性の会話のプロトコル(約束事)なのである。
お願いだから、愛しい男性脳たちよ。私たち女性脳を優しく慰撫するように、話を聞いて欲しい。「それは何の話だ?」「結論から先に言えないのか」などと、話の先を急がせないで。

 

我が家の場合、幸いにも夫婦喧嘩にまで至ったことがありませんが、、
うちだけじゃなかったんだ!
というのが率直な感想でした(笑)

さて、今日のお題にもある「なじる人は傷ついている」という言葉。

これだけ読むと、え?という風に思われるかもしれません。

手っ取り早く、次の引用文を読んでみてください。

なじる人は、傷ついている。

こう思えるかどうかで、人生は大きく違ってくる。喧嘩のシーンが百八十度違って見えてくるのである。

なじる人は傷ついている。たとえその理由が勘違いであっても、理不尽な押しつけであっても、そのことを正す前に、まずはその傷を癒さなければ……。言い訳も説得も、その後なのである。

妻になじられたときは、「俺だって」という前に、「きみにばかり家の負担が行ってたんだね、ごめんな」「きみが疲れていることに気づかなかった、悪かったね」などと、相手を気遣うことばを先に言ってみてほしい。その後に「実は最近、プロジェクトが佳境でさぁ。気が抜けたいんだよ」と言えば心に届くものを、「俺だって忙しいんだ」という防御から入るから、妻の心はしこるのだ。

「仕事と家族、どっちが大事なの」と迫られたら、「子どもたちに寂しい思いをさせていたんだね。申し訳ない」とあやまる。待ち合わせに遅刻したら、「こんなところに、きみを三十分も立たせていたのか。心細い思いをさせてごめん」とあやまる。多忙の理由も、遅刻の理由も、相手を気遣うことばの後に言うべきだ。それがどんなに正当なものであっても。

子どもに対しても一緒である。「父さんは、きみとの約束に誠実じゃなかったね。申し訳ない」「きみの気持ちをわかってあげられなかった。ごめんよ」と、相手を気遣うことばを惜しまないで。

親に対しても、もちろん同じだ。成人した息子に対する母親の小言なんで、取り越し苦労が関の山なのだけれど、うるさそうにやり過ごさないで、「あぁ、母さん、心配かけてすまなかったね」と声をかけてあげてほしい。

男も女も関係なく、それがオトナの責任なのだと思う。なじる人は、あなたを頼りにしている。そして、裏切られて(裏切られたと思い込んで)傷ついているのだ。考えてみれば、なじられているうちが人生、華なのかもしれない。

それに、なじられた瞬間は、愛情を表現するチャンスでもある。「ああ、大事なきみになんてことを……」という態度とことばを示すことができれば、機嫌のいいときに「愛しているよ」というより何倍も効果がある。どうか、その好機を逃さないで。

 

この言葉は、とても響きました。

本能的なのか習慣なのか、人に非難されたりなじられたりすると、つい言い訳や説得、逆にその人を非難し返す言葉が口をついて出てきがちです。

男女脳、つまり夫婦や恋人同士の間柄のみならず、親子や兄弟、職場で、、
人間関係すべてに当てはまります。

例えば、私を非難してくる人がいるとします。
その人は、私を非難するその前に、それなりの決断をしたに違いありません。
つまり、私によって傷つけられ、さまざまな心の葛藤があり、とうとうキャパシティーを超えて非難するに至ったはずです。

そこを察して、まずは相手を気遣う言葉をかけるということは、さすがに高度な人格を備えなければできない行動です。

でも、そこを目指したいと素直に思いました。

周辺にイエスマンしか置かなくなるリーダーや指導者格の人がいますが、それは磨き石を自ら捨てるという行為。

いつも肯定してくれ、いつも賞賛してくれる。
そんな毎日はとても気分のいいことでしょう。
でも、人格の成長は止まるどころか、せっかく丸くなっていた人格はそのままだといびつになり、時が経てば棘も出てくるかもしれませんね。

夫婦という間柄は、捉えようによってはお互いがお互いのための最強の磨き石なのかもしれません。
最初は金平糖みたいにいびつな形をしていても、それぞれが削りあって、丸い人格になっていく。
そんな関係になれたらいいなと。

夫婦のみならず、
私の周りのすべての人が、私の人格の磨き石。

そう思うと、なんだかとてもありがたいなと思えた土曜の夜でした。

この『夫婦脳 – 夫心と妻心は、なぜこうも相容れないのか』、男女ともにオススメの一冊です。
まだの方は是非!


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11 thoughts on “男女脳と磨き石:なじる人は傷ついている

    1. ナオパーパ、ありがとうございまーす。
      夫婦の形って、いろいろあるけど、基本的に男女は全然違う思考方式を持ってるってことですよね。
      私もためになりました^^ノ

  1. 今私の読書するiPadをいじるスペースに金平糖が置いてあるので、苦笑。。 黒糖味がお気に入りデズ(^^)
    夫婦は、正に真剣勝負。勝ち負けを争う訳でなく、身辺で起きることに対して真剣に立ち向かっていたいと私は思っています。
    性格や価値観の違う人を夫に選んだ私は、私の人生に意味のあることで‥その違いというものでキズつけられ磨かれています。
    こう思うのも自分の思考なのだと思うと、周りで起きることに感謝する気持ちも湧いてきます。
    結局、この人生‥自分探しの旅なのね(^^)というのが今の心境です☆

    1. かおるさん、そうなんですよね。
      過去は変えられないので、「一郎」さんを選んだのは、それはそれで意味があること。
      その「一郎」さんが自分の人生の磨き石になってくれたということですよね。
      これから先のことは、未来のことなので、よくわかりませんが♪

      >結局、この人生‥自分探しの旅なのね(^^)

      確かにそうですね。
      アイデンティティの確立ってことですかね。

      人それぞれ、役割があって、例えば私だったら、夫や長男、父親、日本人という役割がありますが、それがアイデンティティをカオスにしてしまうことってありますよね。
      これからは「わたし」というアイデンティティで行こうと思う今日このごろです。

  2. そうなのよ。。
    私はこれまでで、この2年間が一番自分自身のことを考えていたと思います。
    これまでの‥宿命といえるのか‥自分では選べない役割、この父と母の長女、女性、日本人というポジションから、もっと素直な自分、好きな自分、心地いい居場所、大好きなことそんな中に自分の理想や真実、美しいもの生まれてきた意味があると解ってきた感じがします。この達観は、完全に人生の秋に突入したわね^^と思ったり☆
    充分に「自分」を生きたい☆ですね。

    1. かおるさん、
      人生の秋に突入したということは、いよいよ収穫の時ということですね♪

      悩めば悩む(耕せば耕す)ほど肥沃な土地(人生)になっているでしょうから、きっと素晴らしい「実り」があると思います。

      そしてその「実り」自体も、良いとこ取りでいいのだと思うのです^^b

      そういう意味では、人に与えられた最大のギフトは、「自由」なんでしょうね☆

  3. 実りの秋‥いい言葉ね(^^)
    実りは、よいとこ採りで許してと私も思います。身辺で起こることに真摯に向き合って、たくさん悩んできたのだから‥人は、もしかしたら自分の許容量をもともと潜在意識では知っているのかもしれない。。そして、許容量いっぱいになったら、感謝や慈愛が溢れてくるのかしら(^^)
    自分の心の深いところを映し出してくれる鏡のような存在を心に思い描き、一人で生きているわけではないこと、力を尽くしたあとは委ねることで自分の人生をじんわりと感じれる‥と思っています。

  4. さな爺、こんばんは。

    夫婦は、健やかな暮らし=よりよい生存のために
    「チームとして完全体の組織」というくだり、
    う〜んとうなってしまいました。

    うちの夫婦の場合は、ふたりとも好きな事を仕事にしたため、
    収入も2人で普通のサラリーマン家庭の1人分、
    わたしはフルタイムで働く主婦なので、
    子供を育てるために家事は得意分野を分担、
    子供の面倒をみるのも連絡を蜜に取り合って助け合い、
    お仕事でもグラフィックデザイナーとフォトグラファーという組み合わせで
    まさにチームとして、生存してきました。

    今までは、生活することと子育てに必死で、
    心に浮かんだ疑問をとりあえず棚にあげてきましたが、
    最近その疑問が次第に大きくなり、無視できなくなっています。

    それは、たぶん子育ての先が見えて、
    自分の人生の残りの時間を考えたからだと思うのですが、
    子育て&生存だけでない、
    おだやかで自分の心の満足を優先した暮らしがしたい…という希望が膨らんで
    そういう新しい生活をするためには、
    今のチームを解散したいという気持ちが強くなっています。

    かといって、今後の生活も
    まず生存のことを考えなければならないことに変わりはないのですが。

    時がたてば、状況は変わり、関係性も変化する。

    磨き石を傍らに置いて、日々その磨き石を
    気づかって生きるのもひとつの生き方だと思いながら、
    また、別の生き方もあるのではないかという思いも捨てきれずにいます。

    1. じゅんこさん、コメントありがとうございます。

      やはり、こうじゃなきゃダメという固定した価値観というのはないと思うんですよね。
      『夫婦脳』は読むことをオススメしますが、そこに書かれていることも絶対ということはないですよね。

      >今のチームを解散したいという気持ちが強く…
      この言葉は私がどうのこうのいうお話ではないので、この場では控えますが、一つ言えることは、やはり人生は川の流れのようなものなので、その途中は千変万化だと思っています。

      最近、「今ココ」という言葉がよく使われていますよね。
      その場、その時の関係性を大事にしながらも、自分自身の感情も大切にするという意味で、「今ココ」をさらに進化させて「今ココ・自分」って言い方がいいかなと。

      季節はそろそろ物思いにふける秋ですね。

      読書しながら、こんなテーマを主題に物思いにふける秋も良いかもしれませんね^^

  5. バンっ!と爆発、もうだめだ・・・

    と思ったところから、真の絆が生まれることも・・・

    いろんな考え、想い、交流の仕方、テクニック・・・

    それが過ぎ去ったところ・・・

    その人の真髄をみるところ・・・

    自分の真髄をみりところ・・・

    生きる速度を落として・・・

    呼吸をゆっくりして・・・

    世界を、自分を観察する・・・

    男性脳も女性脳も・・・そこを超えたところに真のハーモニーが・・・

    ただ、目と目を見つめているだけで、こころがわかる

    すべてがそこに凝縮されて

    美しく調和する・・・

    軽やかな・・・

    広がる・・・

    永遠

    インラケチ

    1. 人生って、川の流れのようですね。
      人はその中の一しずくの水滴。

      さまざまな出会い、
      コミュニケーション、、

      岩にぶつかって砕けたり、
      滝を真っ逆さまに落ちたり、
      よどんでみたり、
      支流に別れてみたり、
      なんだかんだ言いながら大河に流れ込み、
      海へと辿り着く。

      パートナーとはまが玉のような形をしていて、
      二つ合わせたら陰陽(太極)のマークのようなもの。
      (見ようによってはまが玉もしずくの形)

      同じ形状なんだけど、まったくのま逆。
      でも一つで真円。

      インラケチ、なるほど♪

      美夏さん、コメントありがとうございます。

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