運命と宿命と天命、そして「心」

街の銀杏並木も少しずつ色づいてきましたね。

サナギ・ブログを始めて、今日でちょうど丸2年。
そして、今日は私の誕生日でした。

その間、たくさんの人と出会い、本と出会い、感動と出会いました。

と同時に、大切な人との別れもありました。

このブログを始めて3日後に、叔父(父の弟)が他界しました。
そして昨夜、もう一人の叔父(父の義兄)が他界。

二人とも私の人生哲学を形成していく上でとても大きな影響を与えてくれた人たちでした。

人との出会いやふれあい、そして別れも含めて、さまざまな出来事が人生を豊かにしてくれます。

よく、山や谷や川という言葉を使って人生を表現しますよね。

私は川や海を見に行くのがとても大好きで、田舎に帰っても、東京で働いていても、よく水のある風景を見に行っては色々想いを巡らせます。

以前、「人間は二度生まれる」でも書きましたが、

人の一生を大河ドラマとはよく言ったもので、大河のように連綿と続く歴史の流れの中から、ひと雫の結実としてひょこっと現れたのが「私」です。

雨粒として天から降ってきて、
急流や滝を下ったり、
大きな岩にぶつかって砕けたり、
はたまた、ゆったりと大きく時を重ねながら、
そして最後には大海に流れ着く。

人生って、そんな感じですよね。

誕生日ごとに過去にあった出来事や周りの人たちのことを考えます。
そして、結局最終的に辿り着く言葉は「感謝」、そして、もっともっと幸せになろうという「決意」です。

川の流れのような人生。
感謝しつつその流れにまかせながらも、自分の意志で運命を切り拓いて行く。
そんな感覚です。

「運命」という字は「命を運ぶ」と書きます。
ということは、自分で自分の命を運ぶことができるということですよね。

このブログで何度となく取り上げている中村天風著『運命を拓く』、私の人生哲学を構築していく上でもっとも影響を受けた書籍の一つです。

その中から「運命」に関する箇所を引用してみます。

中村天風 - 運命を拓く今日は、多くの人々が、とかく、誤解に陥りやすい、運命というものに対する正しい悟りを開こう。
こうした事実を知っているのと知らないのとでは、どのくらい人生を有意義にするか、また無意義にするか分からないという重大な関係が人生に存在しているのである。
ところが多くの人を見てみると、遺憾千万ながら、人生に対する大切な事柄を、意外にも無自覚である。むしろ大部分の人は、貴重な人生を漫然として活きている。
今の人達は自分がある程度努力して、この努力が実らないと、それを運命だと思ってしまう。たとえば病気のときでも、一所懸命手を尽くしても治りが遅いと、“運命”だと思ってしまう。あるいは、事業を盛り返そうと一所懸命努力しても、自分の思うとおりにならないと、これもまた“運命”だと思ってしまう。こうして何もかも運命だと、片付けてしまうのだけれども、人間の力では、どうにもしようがない運命というものは、たくさんあるものではない。
自分の思慮が足りないか、あるいは力が足らないのかの理由で運命が開けないことを、いわゆるどうすることも出来ない運命だと決めてしまうのは軽率極まりない話である。運命には二種類あることを知らないのだ。すなわち天命と宿命というものがある。
天命は絶対で、宿命は相対的なものである。もっと判りやすくいうなら、天命というものはどうすることも出来ない。女が女に生まれ、男が男に生まれたのを、女が男になり、男が女になりたいといっても、どうしても、そうはいかない。これは天命だからである。この現代に生まれるのも天命なら、昔に生まれたのも天命。また末の世に生まれるのも天命だ。これはどうすることも出来ない。
しかし、宿命というものは、人間の力で打ち開いていくことが出来るものである。
ところが今の人は、打ち開くことの出来る宿命にぶつかったときでも、それを天命という。自分の努力が足りないことを棚に上げ、どうにもしようがない、というのである。

 

本といえども、中村天風先生の口調はけっこう厳しいです。

私が小学4年の時の担任の先生がものすごく厳しいお坊さんだったのですが、その先生とダブります。
読むだけで自然と背筋がピンと伸びる感じ。

はじめて読んだとき、

何でもかんでも運命だからといって、どうしようもないとかビービー言うな!

って叱られている感じで、その時ハッと目が覚めたのを覚えています。
それくらい、私にとってタイムリーな書籍でした。

同書からもう少し引用してみます。

人生を光明あらしめんがためには、まず正しい運命を作れということである。そうするには、第一に、宿命を統制して活き、天命に安住することである。宿命を統制するには、常に正義を実行し、運命を選ぶ法則を自覚することである。

 

運命は自分で作ることができる。
宿命を統制するのだ!

この一節を読んだときも、目から鱗でした。
目先の出来事や人間関係で色々な葛藤のまっただ中にいたときだったので、ものすごい気付け薬になりました。

最後に、
同書の中でも私の好きな一節を。

走る車の中で、窓外の景色を見ているのと同じで、列車がフルスピードで走っているときに、外の景色を気にしてないじゃないか。外の景色があると思っても目に止まっただけで、スーッと行き過ぎてしまうじゃないか。それと同じようにするんだ。
腹の立つことがあろうと、悲しいことがあろうと、瞬間に心から外してしまえばいいんだ。心を積極的に心がけて、自分の心を汚さないようにするには、気がついたらすぐにそれを拭いてしまえばいいじゃないか。それをお前は、怒ったり、悲しんだり、痛いとか、憂いとかそれを感じると同時に、握ったら放さない。それがいけないのだ。“感じるな”というのではない。
感じない人間になりたかったら、墓に入ってしまいなさい。そうすればもう、何も感じないよ

<中略>

第一、考えてみよう。怒ったり、悲しんだり、悶えたり、迷ったり、苦しんだりしているときに、気持ちがいいか。私は長くそこへ滞っているのは嫌いだ。

 

仕事上でも、家族間でも、満員電車に乗っていても、内でも外でも人間関係の中で生きている私たちは何らかのストレスや悩み事でいっぱいです。
突然の悲しい出来事が起こったりもします。
理不尽な扱いを受けることも。

でもそれを、あたかも新幹線の車窓から見える外の景色のように、客観的にやり過ごすという境地って凄いです。

それがまさに、

人生は心一つの置きどころ

「心」というのは、形がありません。
大きくしようと思えば無限大に大きくなれるし、
小さくなろうと思えば限りなく小さくなれる不思議な存在。

その「心」の置きどころを自分でコントロールすることで、人生良くもなるし悪くもなるというお話。

自分の心の舵取りは自分でやらなくちゃ!

今日は、それが自然体でできるようなどっしりかまえた人に成ろうと、決意を新たにしたのでした。

そんな折、夜になって、四国にいる4人の子どもたちからあるプレゼントが届きました。
4人の子たちの指で作ったPeace Starの写メ。

モノじゃないですよね。
子どもたちの「心」のこもった写メに、私の「心」はハラハラと涙を流しながら、45回目の誕生日の夜は更けていくのでした。

人の心も自分の心もとても愛おしい存在。
心から大切にしたいですね。

今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


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