街の風景がガラッと変わる12月26日

昨日までのクリスマス一色の街並みは、一晩明けると一気に様変わり!

毎年感じますが、どうやら12月26日は年末の雰囲気が急激に加速する分岐の日みたいです。

昨日のうちに年賀状を投函し、引越後のバタバタもやっと落ち着いてきたので、今日はウォーキングも兼ねて近所をぐるっと回ってきました。

街のスーパーや露店などでは、昨夜までケーキやチキン、シャンパンなどが売られていたのに、一晩でお正月飾りのウラジロや鏡餅などが並んでいました。
私も経験がありますが、商業施設の担当者は、クリスマスの夜はほとんど寝る暇を惜しんでセッティングの変更をしなければなりません。

一般消費者は、商売に乗せられているというのもありますが、外国人の友達に言わせれば、日本のこのような文化は世界的にも珍しいとのこと。

確かに、クリスチャンでなくても「メリークリスマス」と言葉を交わし、大晦日にはお寺の除夜の鐘を聞き、正月になれば神社に初もうでに出かけるというのは、奇異に映るのかも知れませんね。

このような話を聞くたびに、思い出す一節があります。

新渡戸稲造の『武士道』の序文の冒頭からの一節です。


およそ10年前のことである。私はベルギーの法政学の大家、故ド・ラブレー氏の家に招かれ、数日を過ごしたことがあった。ある日二人で散歩していたとき、私たちの話題が、宗教問題になって、私はこの尊敬すべき浪教授から、「それでは、あなたの説によると、日本の学校においては、宗教教育はなされていない、ということなんですか」と、聞かれた。「ありません」私がそう答えると、氏は驚いたように突然歩みをとめて、「宗教がない!それでどうして、道徳教育を授けることができるのですか」と、くり返したその声を、私は簡単には忘れられないだろう。そのとき私は、この質問にどう答えていいかわからなかった。というのは、私が少年時代に学んだ道徳の教えは、学校で教えられたものではなかったからである。私自身の中の善悪は、正不正の観念を形成しているのは一体何なのか。そのいろんな要素を分析してみて、はじめてこれらの観念を私自身の中にふき込んだものは、実に、武士道であったことを、ようやくに見出したのである。

 

領地の奪い合いに明け暮れた戦国時代から、天下太平の江戸時代になり、刀を振り回す必要がなくなった武士たちは、剣の修行と同時に心身統一の修養をしていったわけです。

武士は食わねど高楊枝
という言葉も、武士の清貧や体面を重んじる気風から生まれたのでしょうね。

その「武士道」が日本人の道徳心の基礎となっていたんですね。

ただ、ニュースを見るたびに耳をふさぎたくなるような残虐な事件や、出来事。
また、学校での陰湿ないじめ、学級崩壊やモンスターペアレント、などなど。
最近は道徳的に退廃しているのは間違いない事実。

子どもたちには、愛情あふれる思いやりと、正しい道徳心を伝えていきたいですね。
もちろん、そのためには親であり大人である私たちが実践していかないと!
ということなんですけどね。

今日は慌ただしい年の瀬押し迫った街並みを見ながらこんな事を感じた一日でした。


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