断捨離:執着と習慣と感情と

ここ数日、東京辺りでは最高気温が25℃前後の日が続いており、とても快適。

このまま秋になって欲しいなという思いがある反面、やはり灼熱の太陽の下で思いっきり汗を流したいという思いも。

人間って、勝手なものですね。
夏になったら早く秋が来ないかなぁといい、
冬になったら早く春になればなぁという。

でもまぁ、そういう感情があり四季があるのだから、人生も風景も起伏が生まれておもしろい。
ただのっぺらな平原よりは山があり、谷があり、海があり、滝があるから、見た目にも美しい自然。

そんな人生も振り返ってみれば大自然。
って感じなのかな。

さて、今日のお題は「断捨離:執着と習慣と感情」

実は、やましたひでこさんの『新・片づけ術 断捨離』は、昨年本屋さんでさーっと目を通しただけで、今の今まで読んではいませんでした。

そんな中、仕事の関係やら何やらで、急に「読もう」と思い立ち、遅ればせながら、今週初めに読んでみたのです。

「モノとの付き合い方」に関しては、随分前からとても興味があったので、一気に読んでしまいました。

そして、
見事に腑に落ちました!
これが感想です。

「モノと私」って、結局は「私の感情」がすべてなんですよね。
そう、「執着」です。
「愛着」ではなく「執着」を持っていると、いつまでたってもそのモノに対する感情は捨てられません。

今目の前にある「モノ」をただ整理・収納していくのが片づけではなく、まずは一つひとつのモノを向き合いながら自分の感情を整理していくなかで、「主役はモノではなく私」というところに行き着くわけです。

まさに「モノの整理・片づけ=心の整理・片づけ」って感じ。

今、必要なモノだけに絞り込んでいく作業が気づきを与えてくれるという話は、実際にやってみて痛感します。

モノにあふれ、停滞するより、モノの新陳代謝がよく、川の流れのように必要なほうへ流れて行くような仕組みが自然ですよね。

摂取と排泄。
人も新陳代謝が悪くなると、体調を崩し、最悪病気になります。
人体もまったく同じです。

食べる物を選び、きちっと代謝をさせていく。
それが健康であることの大原則です。

ここで少しだけやましたひでこ著『新・片づけ術 断捨離』から引用してみます。

「断」=入ってくる要らないモノを断つ
「捨」=家にはびこるガラクタを捨てる
「離」=モノへの執着から離れ、ゆとりある“自在”の空間にいる私

<中略>

モノは、使ってこそ
モノは、今、この時に、必要とされるところへ
モノは、あるべきところにあって、美しい

<中略>

モノは使ってこそ…という「断」
モノの量と質に意図的となり、使い切れないモノ、必要以上のモノの流れを「断」していく。

モノは、今、この時に、必要とされるところへ…という「捨」
かつて使っていたモノでも、今、必要でないのならば、いつかそのうちまた使うかもしれないと、漫然と保存、収納するのではなく、今、必要とされているところへ、意図的にスムーズに送り出して「捨」していく。

モノは、あるべきところにあって、美しい…という「離」
モノにも自分にも問いかけながら、「断」と「捨」を繰り返し、今の私に相応しいモノを選びぬく。絞り込まれ、厳選されたモノたちは、各々割り当てられた空間に、自ずと戻るように「離」れていく。

 

実際にやってみて、最初のうちは、モノを捨てるって意外と簡単ではありません。

でも、ある時、モノに対する見方や感情がガラッと変わるときがあります。
その時に、モノだけではなく、事や人に対しても執着が捨てられるようになります。

私自身、今年の3月までの仕事と、4月からの仕事では、内容も忙しさもガラッと変わってしまい、ここ最近それまでの習慣を続けていくのがとてもしんどくなっていた時期でした。
環境がガラッと変わったのに、自分の心(ソフト)と体(ハード)が古いままだったのです。

そういう中で、断捨離を実行してみて、「こうあるべきだ」とか、「こうじゃなきゃいけない」という執着も捨て去ることができた気がします。

習慣」といえば、サナギのフロー「s・a・n・a・g・i」の中でもとても重要な項目。
この「習慣」は一度決めたらそれをやり続けていかなければならないというわけではなく、「実行」しつつも、環境や価値観の変化に合わせ、「習慣」自体をバージョンアップさせたり、完全に作り替えたりしながら「成長」し、「自立」していくことが大切なのだと、今回再認識することができました。


想像(Imagination)


私自身を知ること   【自覚】s:self-awareness
私自身を受け入れること【受容】a:acceptance
私自身を変えること  【習慣】n:new habits


創造(Creation)


私自身を動かすこと  【実行】a:action
私自身を生かすこと  【成長】g:growth
私自身を解き放つこと 【自立】i:independence


以前「人生は心一つの置きどころ」でも書きましたが、
「執着」に関しては、自分を鳥に例えれば、自分で勝手に鳥かごの中に入っていって、出られずに苦しんでいるのと似ています。

自分自身の心を、鳥かごの中から解放してあげることによってはじめて、執着を捨てられるのです。

最後に、「悩みの正体を分析してみる」でも紹介したお釈迦様の言葉を、小林正観著『100%幸せな1%の人々』から引用します。

お釈迦様が話されていた「四諦(したい)」というものがあります。これは「苦諦(くたい)」「集諦(じったい)」「滅諦(めったい)」「道諦(どうたい)」の4つの諦め、すなわち「悟り」のことをいいます。

第1番目の悟りである「苦諦」は、
「人生はすべて苦悩の連続で、その集積から成り立っている」と悟ること。

第2番目の「集諦」は、
「苦しみの元(根源)はすべて執着にあり、自分が何かに執着しているがゆえに、苦悩や煩悩が生まれるのだ」と悟ること。

第3番目の「滅諦」は、
「その執着やこだわりを滅すれば、楽になるのではないか」と悟ること。

第4番目の「道諦」は、
「執着やこだわりを滅する実践をすること。日常生活のありとあらゆる場面で、執着を捨てる訓練をする」というものです。

 

モノがあふれているのに、足りないところは本当に足りないこの現実。
モノへの執着、そして、過去への執着や未来への不安を捨てることで、今現在を活き活きと生きることができる。

そう考えると、モノの新陳代謝だけではなく、心の新陳代謝も進み、素敵な世の中になるだろうなと思う暑くもなく寒くもない清々しい土曜の朝でした。
まずは自分から!

遅ればせながら、良いとこ取りの人生哲学に「断捨離」が加わりました。
まだという方には、ホント、オススメします。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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2 thoughts on “断捨離:執着と習慣と感情と

  1. はじめまして。突然のコメント失礼いたします。

    物への執着も人への執着も、元をたどれば「自分の感情」なのでしょうね。
    何かに執着するというのはこだわりとも少し似て、人間にとって切り離せない感情だと思います。
    執着も度を過ぎれば『固執』になる。それは自分の心にとって思った以上に負担になるものだと最近気がつきました。
    自分の感情(心)に向かうということを常にしなければならないことは非常にエネルギーのいることですが、同時にとても大切な人間らしさであると思います。

    さな爺さんのブログは最近ある知人から教えていただきました。
    いつも『なるほど』と新たな発見をさせていただいております。
    また深いお話楽しみにしております。

    1. yoshiさん、はじめまして。
      コメント、ありがとうございます。

      モノや人、習慣などへの執着は、ちょっとした視点を変えてみるだけで、「自分はなんでこんな小さな事にこだわってたんだろう」って思うことってありますよね。
      特に過去の記憶やモノには自分の感情が乗っかってるので、良いことにしろ悪いことにしろはっきりと覚えていて、そこにしがみついているってことがあります。

      そう考えると、yoshiさんがおっしゃるように、自分の執着と向かい合うことは、自分の感情と向き合うことになり、人の成長過程において、とても大切なことですね。

      示唆に富んだコメント、感謝です。
      最近は更新頻度も減っているのですが、よろしかったら過去記事などにも目を通して、ご意見をいただければと思います。
      今後ともよろしくお願いします。

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