宇宙から見た「自分」、大自然の中の「自分」

大自然!わたしたちもその一部分!

日々、仕事や家事に追われたり、様々な人間関係に翻弄されてばかりいると、自分を見失いがちになります。
ややもすれば自分一人が世界中の苦労を背負って歩いているような気さえしてくるときがあります。

これは、ミクロの世界に陥っている証拠なんでしょうね。

以前テレビで宇宙から見た地球の映像を観たことがあります。

3分の2が海で覆われた青い地球!
そんな映像を観ているうちに、「私はこの地球のどの辺にうごめいているんだろう?」なんて考えていると、当時悩んでいたこと全てが些細なことのように思え、全てのことに対して大きな心を持って接することができたのを覚えています。

宇宙から見た地球、その中の「自分」。。

物理的な存在としてはちっぽけな「自分」。。

宇宙から見た地球

地球上のどこかで誰かが誰かを傷つけようと、人が生まれそして死のうと、親とけんかし家出をしようと、宇宙はある法則に沿って寸分違わずバランスを保ちながら運行している・・・

そう思うと、何もかもが許せるし、もっともっと大きな気持ちになれたりするんですよね。

だからといって「何でもあり」ではなく、宇宙の星と星がうまくバランスをとっているように、私も「全体」の中の「個」としてバランスをとりながら存在していく。
そしてその価値は無限大。

地球外生命体、宇宙人、エイリアンが存在するしないの議論は別として、この地球上で、空の向こう側、つまり宇宙のことを考えている生物はおそらく人間だけでしょう。

犬や鳥が宇宙にロケットを飛ばす時代はおそらく来ないだろうし、哲学を語り合ったりもしないでしょう。

人間は哲学する生き物です。
人のことを考えず、本能だけで生きれば動物と同じです。
いや、たちが悪いことにそれ以下になる可能性もあり、実際にそうなっている現象が地球上あちらこちらに見てとれます。

動物たちは本能で生きていますが、宇宙の法則に則って生を営み、大自然のバランスを保ちながら生きています。

本能以下のエゴ(自己中心)は地球温暖化を進行させ、戦争を引き起こし、宇宙の法則のバランスさえも崩してしまいます。
「人類は万物の霊長」と考えているのは勝手な人間の妄想で、人間のエゴやおごりから来てるいるのかもしれません。

人間の手の加わっていない大自然

単身赴任の私は、月に一度のペースで四国の我が家に帰ってますが、帰ったときは子供たちとよく山に探検に行きます。

そこには人間の手の入っていない、全くの大自然が息づいています。
人間が造った自動車や信号機、道路やビルに囲まれて暮らしていると季節感も自分の存在価値さえも見失うことがありますが、たまに大自然の中に心と体を置いてみることも大事ですね。

聞こえてくるのは道路工事や自動車の騒音ではなく、鳥の声、風や川野せせらぎの音。
海に行けば波や海鳥の声。

大きな木の切り株や、ちょうど良い場所を見つけてあぐらをかく。

バッハやブラームスも良いですが、大自然の奏でるオーケストラは、「これまた格別だぁ!」と感じる瞬間です。

東京ではなかなか難しいかもしれないけど、サナギる時間は大自然の中でとるのが一番。
よし、この週末は近くの公園の穴場を探しに行こっと。


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