7つの豊かさ・その7【心】

心の豊かさこそが人生哲学の軸であり中心である。

7つの豊かさ
、心のうち、
いよいよ最後の7つめ、【心】の豊かさについて考察してみます。

7つの豊かさ【心】
7つの豊かさ【心】

 

7つの豊かさの中でもっとも重要なのが、「心の豊かさ」です。
7つの豊かさ円グラフを見れば一目瞭然ですが、他の6つの豊かさの中心にあります。
たとえ他の6つの豊かさが全て満たされたとしても、心が豊かでなければ、むなしい人生になってしまいます。

逆に、
「心」以外の6つの豊かさは「心」次第で全てを叶えることができるとも言えます。

言い換えれば、「心の豊かさ」こそが私たちが一生をかけて取り組むべき課題であり、命題です。
良いとこ取りの人生哲学の核であり、軸となります。

中村天風 - 運命を拓く

このブログでよく引用する中村天風さんの言葉で

人生は心一つの置きどころ

 

という名言があります。

この言葉は大変短いですが、大変深いです。

心の豊かさは、大きく、次の3つの角度から見ることができます。

①人格
②愛情
③精神

以前の投稿「自覚:Have・Do・Beで夢探し」の「Be」に当たる部分です。

自分は「どう在りたいか」

どんなに財産を持っても、うわべだけの人脈があっても、
いつかは目に見える全てを捨てて、体は土に帰っていきます。

人間は、物質的に人体だけを見ていくと、素粒子→分子→細胞→組織→人体
という風にできていて、長く生きても120歳くらいで寿命となります。

地球の一部分から生まれた私たちの体は、いつかはまた地球へと帰っていくのです。

でも「心」は次元が違います

去年亡くなった尊敬する叔父は、体は土に帰っていきましたが、精神や生き方、言葉は私の心の中で生き続けています。
如何に豊かな心で人に接し、出来事に接し、自分自身に対してきたかを、人生そのもので教えてくれたのでした。

7つの習慣』から引用してみます。

自分の人格に基本的な欠陥、二面性、あるいは不誠実さを持ちながら、テクニックや手法だけで人を動かしたり、仕事をさせたり、士気を高めようとしたりすれば、長期において成功することはできない。いずれは、その二面性によって相手に不信感が生まれるからである。いくら人間関係を改善させるテクニックを使ったとしても、それはすべて相手を操ろうとしている行動にしか見えない。信頼という土台がなければ、永続的に成功することがあり得ない。基礎となる人格の良さがあってはじめて、テクニックが生きてくるのだ。

 

7つの習慣』は、
私たちが人生を送る上で、
スキルやテクニック、あるいは応急措置的なアプローチのことを「個性主義」と呼び、
誠実、勇気、忍耐、正義などの原理原則があり、それを体得し人格に取り入れていくアプローチを「人格主義」と呼んでいます。

まさしく「心の豊かさ」は、この人格主義に基づいた日々の生活から造成されてくるものです。

もう少し引用してみますと、

心の空は澄んでいれば澄んでいるほど青く、深い。

表面的な成功(才能などに対する社会的評価)に恵まれた人の中でも、こうした真の成功(優れた人格を持つこと)を達成していない人もいる。しかし、遅かれ早かれ、このことは、その人の持つ長期的な人間関係のすべてーー仕事仲間、夫・妻、友人、大きな悩みを抱えている子供などーーにおいて、表われてくるだろう。人格は、言葉よりもはるかに雄弁だからである。

これは誰もが知っていることである。私たちには、人格をよく知っているがために絶対的に信頼をおいている相手が必ず存在するはずだ。その人が雄弁であろうがなかろうが、人間関係のテクニックを知っていようがいまいが関係なく、私たちはその人を信頼して、一緒に働くことができる。

ウィリアム・ジョーダンはこう表現している。

「あらゆる人の手の中に、善または悪を行なう巨大な力が委ねられている。それは、その人の人生そのものが周りに与える影響である。どう見せかけるかではなく、本当のところ、あなたはどうあるかが常に周りに発信し続けているのだ」

 

自分は、
どう在りたいか」を一段階レベルアップして、
どう在るべきか」を追求してみると、
現状の自分と、理想の自分との差がくっきりと見えてきます。

その差を日々の生活の中でほんの数パーセントずつでも克服しながら、「在るべき姿」を目指していくところに、真の「心の豊かさ」を発見し、体得し、それを発現していくことができるのです。

最後に論語を一つ。『[現代語抄訳] 論語』より

「現代語抄訳」論語―欲望に振り回されない生き方

子曰く、君子は担(たひ)らかにして、蕩蕩(とうとう)たり。小人は長(とこしへ)に戚戚(せきせき)たり。

心の出来た人は常に道理に従って利害得失に心を煩わされないから、心が平らかでゆったりとしている。だが、心の出来ていない小人は利害得失に囚われているから、いつも心が憂えて痛んでいる。

※蕩蕩=おだやかでゆったりしている様。戚戚=憂い悲しむ様。

二人の男がある人に謝礼として一万円ずつもらった。一人の男は「こんなにたくさんもらって」と感謝し、もう一人の男は「金持ちなんだから、もっとくれればいいのに」と不満足だった。感謝できるのは君子の心。不満足なのは小人の心。どちらの発想が幸せな人生を歩むか、いうまでもないだろう。

 

さまざまな出来事や場面に遭遇する日々、
どんな状況下でも、蕩蕩とした心(人格、愛情、精神)で臨める人になりたいなぁと思うのでした。


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One thought on “7つの豊かさ・その7【心】

  1. サナギさん、いろんな本を読んでおられますね。私も2年前に論語を読むといいと言われてとりあえず漫画で読んで、最近やっと山本七平氏の「論語の読み方」を読み始めました。昨日この「君子は坦として・・・」の言葉に出会いました。「戚」という言葉の意味が知りたいなと思っていたところでした。ありがとうございます!

    孔子もお釈迦様もイエス様も弟子たちや出会った人に語った言葉が「聖人の言葉」として残されています。たぶんこの方たちは自分の言葉が聖人の言葉として扱われたり、まして教義論争に使われたりなんて考えもしなかったでしょうね。ただ目の前の人を愛した・・・その人が本当の意味で生きるようにと語った言葉なのだと思います。本当に心のこもった生き様や言葉は自然と残っていくのでしょうね。

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