ゆるすということ

海や湖、さらには宇宙のような寛大な心になってすべてをゆるそう!

ゆるすということ

私たちの日々の生活の中で、頭に来ること、イライラすること、ゆるせないことって結構ありますよね。

朝の満員電車で若者が、周囲にも聞こえるぐらい大きな音量で音楽プレーヤーを聴いていたり、
些細なことで兄弟げんかになったり、
子どもが部屋を散らかしっぱなしにしたり、
信頼していた友人に裏切られたり、
夫が自分より若い女性と浮気していたり、
小さい頃に親から虐待を受けていたり、
また、ふがいない自分自身がゆるせない、という人もいるはずです。

人それぞれですが、大なり小なり、何かしらあると思います。

現に私がそうでした。
5年ほど前、独立起業しましたが、うまくいきませんでした。

その時は、その理由を社会のせいにしたり、自分を取り巻く環境や人のせいにしてました。
自分は間違ってないと、一生懸命正当化していたのを思い出します。

さらに、運に見放された自分自身を恨んだりもしました。

でも、そういう怒りやゆるせない気持ちのままでは、いつまでたっても前に進むことはできません。
人や自分がゆるせないという気持ちは、自分で自分を檻の中に入れてしまうようなものです。

以下、『7つの習慣ファミリー』から引用してみます。

7つの習慣ファミリー

多くの人にとって、主体性がもっとも試されるのは他人をゆるすときでしょう。実際のところ、相手をゆるすことができるようになるまで、あなたは被害者であり続けるしかないのです。

中略

本当の意味でゆるすということは、信頼と無条件の愛が流れる血管をつくり出すことなのです。それによって自分の心も清められるのです。そして、ほかの人の変化と成長を妨げる壁をなくすことにもなるのです。

しかしその人をゆるさないなら、その人が自分の良心の声を聞こうとしても、あなたの批判の声しか耳に入らなくなるのです。あなたの存在そのものが、その人の成長を邪魔する存在になり、変化の道をふさぐ障害物になるのです。

この「ゆるす」という行為は家族関係をよりよいものにし、私たちの生活の質を高める大きな預け入れになります。私たちは毒蛇に噛まれて死ぬのではありません。仕返しをしようとして蛇を追いかけることで、その毒が心臓にまで達してしまうのです。

 

数年前、この一節を読んだとき、大きな衝撃を受けたのを今でも覚えています。
私以外のところに、いくら矛先を向けても、何も変わらないどころか、私自身の人生がさらに悪い方向に向かっていくということに気付かされたのです。

ただ、現実を受け入れたり、ゆるすということはそう簡単ではないことも確かです。

でも、なぜそのようなゆるせないという思いが募ったり、不幸になっていくのでしょう。
それに関しては、ジェラルド・ジャンポルスキー著『ゆるすということ』にわかりやすく説明されているので、引用してみます。

ゆるすということ

ゆるしについて書く前に、なぜ不幸になるのか、少し考えてみましょう。不幸の原因を探れば、世の中をまるで違った目で見ることができます。まず、幸せを外に求める自分の心から、探求してみましょう。

現代社会では、お金や物を所有すれば幸せになれると考えがちです。しかし、困ったことに、お金や物は集めれば集めるほど、もっとほしくなります。どんなにたくさんお金があっても、充分だと感じることはまずありません。このような価値観で人生の方向を決めると、「いつか永久の幸せをもたらす何かを見つけられるだろう」と思い込んでしまいます。しかし、こうした幸せの探求は、多くの場合失望、怒り、不幸、絶望という結果に終わるだけです。つまり、それではうまくいかないと教えられるのです。

虹の向こうに黄金の宝物を探しているせいで、自分自身が虹であり黄金の宝物であるということが、わからなくなってしまうーーこんな簡単なことに、なぜ気づけないのでしょうか。

世の中には、「私は不幸だ」とか「お金が足りない」とか、不満の種はいくらでもあります。見回せば、自分より多くの物を持ち、ずっと幸せそうな人たちがたくさんいます。そこで、魂にぽっかり空いた穴を埋めようとして、周りの人たちにすがりつき、その関係に頼ろうとします。物で幸せになろうとする話から、誰かによって幸せになろうとする話に移るのは、理論の飛躍と思われるかも知れません。しかし、これには密接な関係があります。「物があれば幸せになれる」と考えながら、同時に「まわりの人のせいで幸せになれない」と考えているのですから。

 

同書の別の箇所から、もう少し引用してみます。

私たちは「恨みつづけないと危険な目に遭う」というエゴの声を信じがちです。問題は、この種の否定的なエネルギーが心のなかでどんどん大きくなっていき、いずれブーメランのように自分に戻ってくることです。

『何を考え、何を信じるかで人生が決まるということを、忘れてはなりません』

なぜゆるすのかといえば、自分を過去から自由にするためです。他人への恨みつらみから、自分を自由にするためです。ゆるすと危険な目に遭うどころか、いまこの瞬間を、より生き生きと生きられるようになります。そして、いまこの瞬間が安らぎに満ちていれば、安らかな気持ちで未来を見ることができます。すると、安らかな現在がそのまま未来へと続き、安らかな現在が安らかな未来になります。不幸にも、多くの人たちは、恐れに満ちた過去が恐れに満ちた未来になる、というふうに生きています。私たちの信念が、「事態は悪くなるいっぽう」という現実をつくっているのです。

 

自分自身や人をゆるすということは、それまでの過去に囚われの身となっていた自分を解放することであり、より希望的な未来を見つめていくということになります。

以前の投稿「刺激と反応の間のスペース」でも書きましたが、人は何かの刺激を受けたとき、反応するまでの間に、一時停止ボタンを押せるスペースがあります。これが本能で生きている動物とは違う点です。

主体性を発揮するということ

そのスペースには、人間の人間たる四つの独特な性質として、自覚・想像力・良心・自由意志があります。

ある刺激によって、「ゆるせない」という思いになることは仕方ないのですが、そこで一時停止ボタンを押しながら、「ゆるす」という行為にもっていくことこそが、私たちの主体性を発揮するということなのです。

今の時点で、ゆるせない、と思う人や出来事、身体的特徴、罪悪感などがあれば、是非思いつくものすべてをリストアップしてみてください。そして一つひとつゆるしてみるのです。

「私にはできない!」という人もいるかも知れません。私も最初はそう思いました。
でも、リラックスして瞑想したり、朝静かに座って寛大な心で深呼吸しながら目を閉じてみると、大きな湖や海、さらには宇宙になったような気持ちになるものです。

騙されたと思ってやってみてください。何もやらないよりは何十倍、何百倍もの効果があるはずです。

「人間の本質は愛」です。肉体的な容姿や、物質的な富がすべてではありません。

「ゆるそう」と思うことから始めてみましょう。

いつもの言葉になりますが、結局「人生は心一つの置きどころ」(by 中村天風)なんですよね。

–追記–

ゆるすことで、、、


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One thought on “ゆるすということ

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