告白:私の弱点は脇腹です

めっきり秋めいてきたね。どんぐりコロコロの季節だ!

ここ数日でめっきり秋めいてきました!
今朝の東京なんかは、肌寒いくらいで、久しぶりに長袖カッターシャツにスーツでビシッと決めた脱クールビズの朝でした。

さて、今回も自叙伝的な内容で恐縮ですが、愛する4人の子どもたちに、お父さんの生き様を残しておかなきゃという想いからこういう内容もちょこちょこ書いておこうと思っています。

2年にわたる「暗黒の浪人時代」のあと、「魚屋時代の話」へと続いていくのですが、実は大学に入学してから6月までの2ヶ月間は、魚屋ではなく東京渋谷のデパ地下で仕事をしていました。今から24年ほど前の話です。

高校、浪人時代と一切バイトをしてこなかった私にとっては、人生ではじめて「報酬をもらって働く」ということを体験したわけです。

スイーツ、肉屋、花屋などの専門点がたくさん立ち並ぶ一角で、漬け物や総菜をお客様に直接販売するその仕事は、「私に合ってる」って素直に思えるくらい、とても楽しい仕事でした。

商品知識はもちろんのこと、ちょっとした時事ネタやだじゃれを入れながら、奥様やおじさんたちと対面でやりとりする、ただこれだけのことですが、それまで受験勉強で机にかじりついてきた20歳の青年にとって、なんとも刺激的な日々。
「仕事って楽しい」
「今日はどんなお客さんと出会えるんだろう!」
「毎週来るあのおばさんは今日も来るだろうか?」
そんなことを考えながら出勤していたのを今でも覚えています。

大学の講義は本当に面白いのがたくさんあった。

当時、月曜から土曜、夕方5時まで働いた後、東急東横線に乗って横浜の大学に行くというのが日課。

大学は夜間だったので、私より2つ年下から親くらいの人まで、幅広い年齢層の学生たちがおり、友達もすぐにできました。
ほとんどの学生は、仕事をしていたり、主婦だったりで、昼間の学生よりは勉強に対する意識は数倍も高いのを感じました。

大学の講義は、テレビに出てくるような有名教授や、わかりやすい講義で定評のある教授もおり、これからの5年間、本当の意味での「人生に役立つ勉強ができる!」とワクワクしたものでした。

と、そんな楽しい大学生活も2ヶ月を過ぎた6月のある日、朝いつも通りに起きて出勤しようとしたとき、右胸の激痛とともに呼吸困難になって動けなくなってしまったのです。

またしても頭をよぎるあの悪夢。。というか、紛れもない現実。

左肺に穴があいて自然気胸の手術したのが、ちょうど5ヶ月ほど前の受験の時。

右肺は、1年半前の受験の時に発症しながらも手術するまでには至らず、安静にして良くなったのでそのままだったのですが、その左肺の病原が鎌首をもたげたのです。

5ヶ月前と同じ病院に救急車でかつぎこまれ、診断の結果、即手術決定。
またあの苦痛と格闘するのかと思うと、頭がおかしくなりそうでした。
楽しい大学と仕事の二重生活を手に入れたばっかりだった私としては、奈落の底に突き落とされた気分でした。

あの時の看護師さんは優しかった。。

ところで、私が運び込まれた病院は、当時自然気胸に関しては第一人者といわれた先生がいたので、日本全国から同じ症状の患者さんたちが集まってきていました。
自然気胸の特徴は、20歳前後の長身やせ形の男性に多いので、私が入院した病棟のフロアも私と同じような体型の人ばかりでした。

そんな中、まだ半年も経たないうちに同じ病気で入院してきた私を多くの看護師さんたちが覚えてくれており、なんとか大学に合格したことを告げると、みんな実のお姉さんのように大喜びしてくれました。
当人の私は胸の激痛にさいなまれてはいましたが、心から嬉しかったです。

当時(1987年)は、携帯電話もメールもない時代。
せっかく友達になったばかりの同級生に連絡することもできず、療養と夏休みも含めて、結局6月に倒れて以来、次に登校したのが9月半ば。
そうこうしてるうちに、前期の試験。
急いで友達からノートを見せてもらい、急いで猛追した想い出が昨日のようです。

そんなこんなで、5ヶ月の間に左右両方の肺の手術をしたので、夏休みは実家のある四国でゆっくり英気を養って、盆明けから上京し、仕事は、地下の圧迫されたところよりも、もっと明るく開放的なところでってことで「魚屋時代の話」でお話した魚屋さんに替えることにしたのでした。

この一連の自然気胸との闘いで得られた内容は、
自分の尺度で、「もうこれくらいでいいだろう」と、決めつけるのはよそう!
ってことでした。

言い方換えれば、
「人生、何でも来い」

これは、諦めではなく、受容(受け入れ)です。
そしてそれに感謝する。

この時、
「若いときの苦労は買ってでもしろ!」という先人の言葉がすーっと入ってきたのです。

船は大きいほど揺れない。人間の器も同じこと。

船は、大きければ大きいほど、波の影響を受けないものです。
大波が来ようと、たとえ津波が来たとしても、大きな船であれば、その波を受け入れ吸収することができますよね。
人生における「苦労」というものは、その船、つまり人間でいうと器を大きくしてくれるための出来事で、これでもか!これでもか!と襲いかかる大波、それを避けて通っていては、大きな器にはなることは難しいのだと思います。

高校の時、当時単身赴任中だった父からよく絵はがきをもらいました。
その中の一枚に、ただ一筆だけこう書かれていたのがあります。

「常に困難な道を歩め!」

当時はピンと来なかったこの言葉、
随分後になって心に響いてきたのを覚えています。

一生を建築にたとえたら、成人するくらいまでが基礎工事。
私にとって、左右両肺の手術は、拷問のような痛みを伴ったものの、その後の人生を歩んでいく上で、とても重要な基礎(土台)として刻まれました。今となってはすべてが感謝です。

と、いうことで、今回もまたまたわたくし事にお付き合いいただき、ありがとうございました。

って、このままで終わると、「じゃぁ、タイトルはなんだったの?」ってことになるので、もう少し続けます。

これでもかといわんばかりに踏み固められる基礎工事、これは本当に感謝のひと言です。。
が、それと引き換えに誰にも触れられたくない弱点も生じました。

脇腹です。

普通、脇腹は誰だってくすぐられたら気持ちいいものではないとは思いますが、私はたぶん誰よりも飛び抜けて敏感だと思います。
笑い事ではありません。

局部麻酔をかけられ、意識がはっきりしている状態で、両脇腹に穴を開けられ、体の奥の方に鈍い痛みを感じながら過ごした手術の1時間が今でも忘れられません。

その手術を受けるまでは、あまりくすぐったがり屋ではなかったのですが、それ以降は、、絶対無理ですっ!

でも、これさえも克服できたら、私の心の中もきれいに掃除できるのかもしれません。

なんてことを考えながら、秋の夜長と涼しい風を楽しんでる今宵でした。


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6 thoughts on “告白:私の弱点は脇腹です

  1. 導入の「愛する4人の子どもたちに、お父さんの生き様を残しておかなきゃという想いからこういう内容もちょこちょこ書いておこうと思っています。」で軽く泣かされた私です(笑)。

    先日とある私のフォロワーさんのpostで「強いられた試練からのみ人は成長できる」というものがありました。
    突然の環境の変化、望まない仕事、別れ、病気・・・そういったものからのみ初めて人は成長できる、とのこと。

    そうかもしれない、と思い続けていたときにこちらのブログを拝見。
    さな兄さんがたどってきた突然の病気に対する失望と葛藤と、エネルギー、強さを感じました。頭が下がります。

    先日初めてさな兄さんとはお会いしたわけですが、繊細だけど、どこか大きな包容力を感じたのは、こんな素晴らしいお父さまに育てられ、こういった試練を超えた方だったからなのね、と納得しました。

    脇腹ですね。了解しました♪(冗談ですから!・・・?)

    1. Rieko_Hさん、コメントありがとうございます。
      私の試練なんて、たいしたことないと思います。
      たかが手術でちょっと大げさに書きすぎたかな、なんて思っているところです。
      でも、「強いられた試練からのみ人は成長できる」という言葉は確かにそう感じます。
      予期せぬマイナス的な出来事をどう受け止め、乗り越えるかで、成長するかどうかが決まるような気がします。

      ところで、Twitterではいつもありがとうございます。
      しかし、脇腹が弱点という告白に対して、ここまでの反響があるとは。。
      次回のオフ会が怖い。。^^;

  2. お兄ちゃん。
    お兄ちゃんの言葉は、必ず子供さん達の宝物になるね。
    私の父の言葉も、なんであの時こう言ったのか、だんだん理解できることが増えてきました。
    言葉の意味は分かっても、体験してみなくちゃ分からないことって沢山ある。
    想像力では決して知り得ない重さが。
    だから私は、父の言葉の意味を、まだ本当に理解してるとはいえないのだと思います。
    これから自分の体験の中で、勉強していきたい。
    お兄ちゃんの言葉も、きっとあらゆる局面でお子さんの助けになっていくのですね。

    私ね、近頃、自分自身の船の大きさが試されるような大きなことがあったの。
    けっこう大きな波だったよ。
    遭難してもいいかなって思ったりもしたけれど
    そうはならなかった。
    以前の私なら受け止められなかったかもしれない波が、今回は吸収できたの。
    ちょっと大きくなってたんだね^^

    いろんな波を受け止めるたびに、少しずつどうしたらいいか分かるようになる。
    揺れに耐えることもできるし、いつか止むことも分かるようになる。
    ひとときの休息で、経験を力に変えて備えることを知る。
    冒険もできるようになる。

    まだまだ若いときは、もうこんなの嫌だと思ったけれど
    今は、波は止まないと知っている。
    そして、それを受け止めたら、今まで知らなかったものが見えることも。
    避けても後ろから襲ってきたりするから油断できないよね!
    ちゃんといい航海をしていこうと思います。

    脇腹が弱いのは、過酷な痛みで神経が過敏になったから?
    同じように大変な経験をされた方で、もう何されても感じなくなったという方もいらっしゃいました。
    どちらも神経感知に影響を及ぼしていることになりますよね。
    今度お兄ちゃんに会ったら、どれくらい神経過敏に影響をもたらしたのか弱点度を観察させてください。
    ええ、あくまでも医学的な興味で…フフフ^^

    1. fuuちゃん、人生って、ホントに航海するみたいな感じだよね。
      最初は手こぎボートどころかイカダかもしれない。
      でも少しずつ強い波が襲ってきて、それに対処しながらどんどん船が大きくなる感じ。
      気がつけばタンカーぐらいの大きな船になって、堂々と大海を進んでいく!

      今、fuuちゃんは嵐の中にいるのかな。
      でも終わらない嵐はないし、かならず港が見えてくるって信じてるよ。
      灯台もあるし、海図も羅針盤もある!
      それを一緒になって乗り越えていけるパートナーやよき仲間たちがいれば、
      なおさら心強いよね!!
      順風満帆というより、どうせだったらダイナミックな航海が生きてるって感じがするよね。

      私の脇腹は手術という外的なものだけでなく、精神的な部分もあると自分でもわかってる。
      呼吸も浅い感じ。
      でも、それを少しずつ克服してる。頑張る!
      その「医学的な興味で…フフフ^^」っていうのがなんかちょっと恐いなー^^;

      いつもコメント、ありがとう!

  3. ごめんね、お兄ちゃん。
    医学的な興味は冗談です。
    単にくすぐってみたかっただけなんです。
    私の弱点は足の裏です^^

    私は、もしかしたら自分から波瀾万丈な荒波へ向かっているのかと思うことがあるの。
    順風満帆な航海だったら、どんなに楽かと思うこともあるけど
    やっぱりダイナミックな方が楽しいと思ってしまう。

    困難にあっても、どこかわくわくしてしまう。
    生きてる感じかするからなんだね。
    もっといい方法があるんじゃないかって挑戦したくなる。
    次々やりたいことが見つかるって幸せなのかもね。
    でも、ときどきひとりぼっちになるような感覚があったの。
    航海にパートナーや仲間はとても大切な存在だよね。
    今は、お兄ちゃんをはじめ理解してくれる大切な人に囲まれて
    とても心強いです。
     
    ありがとうございます。

    1. fuuちゃん、実はこの記事を見て、私の脇腹を狙ってる人はけっこういるみたい^^;
      この前、友人に不意打ちされて飛び上がったよ!

      新しい事への挑戦はやれるときにやっておくことがいいかもね。
      それを心から欲しているのだったらなおさら。

      私の感覚として、fuuちゃんのそのあふれる才能と知性と意欲は、何か大きな目的のために用意されてる気がするよ。
      でも、そういう大きな使命を担った人って、個人的(周辺の人も含めて)には犠牲が伴ったりするよね。
      その辺のバランスをとりながら、よき仲間たちと一緒に行けたら素晴らしい人生になるね、きっと!
      そして、それをやってのけちゃうと思うよ、fuuちゃんは。

      fuuちゃんのツイートやコメントにはいつも感化され、勉強になってます。
      ありがとう。

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